人形に見る理想像とありのままの姿

ーバービー人形等の多様性や魅力

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

米国社会を構成する様々な人を反映し、最近どんどん多様になっていくバービー人形。下記の投稿では、バービー、日本のリカちゃん、シルバニアファミリー、昔の人形(ひとがた)やお雛様などを取り上げ、人形の様々な役割(コミュニケーションツール、インスピレーションを提供するおもちゃ、自己投影をする相手など)について考えてみました。

“Dolls: Another Version of Ourselves”

This Japanese blog post celebrates the recent growth in diverse Barbie dolls (including body type, skin color, and gender), which better represent the U.S. demographic. I also discuss other dolls (Licca, a Japanese equivalent of Barbie; Sylvanian Family, a collection of animal figurines; and traditional Japanese hina dolls), exploring the many roles that dolls have, including as communication tools and sources of inspiration.

LGBTQのコミュニティを支援します、という言葉とともにバービーの公式インスタグラムに投稿された様々な人形。

近年の米国では、 小説映画やテレビ番組広告政治など、あらゆる分野においてrepresentation (実社会における多様な人々が各分野においてしっかりと反映されていること)が話題になっています。「白人だらけ」「男性ばかり」ーそういった批判を受けては進歩を遂げることの繰り返しです。

その一環として、子供が幼い時から触れる人形については、バービー人形が大きく進化しています。人種、体型、職業などが徐々に多様になり、その変化がメディアでも頻繁に取り上げられています。ありのままの社会をより忠実に表すべく、変化していると言えるでしょう。私たちがバービーや他の人形からどんなインスピレーションを受け、人形にどのように自己を投影し続けているのかを考えてみました。

バービー人形の変革

ハワイで子供時代を過ごした私は、学校や日々の生活でアジア系の人々に囲まれて育ちました。童謡のテープや童話の本など、両親が日本から取り寄せてくれたものもとても多かったのですが、何もしなくても、日本を含むアジアの文化に簡単に触れられる環境でした。他方、 ドラマ、映画、小説など、米国本土から来るエンターテインメントにおいては、圧倒的に白人が主人公で、ハワイにおける日々の生活とはかけ離れた社会を描いていました。バービー人形も、(実際には既に黒人のものも出ていたようですが)おもちゃ屋さんや友人の家で目に入るものは、背が高くて細い金髪碧眼の女性のみでした。

それから30年が経った今、バービー人形は驚くほど多様になっています。 多様性に関するバービーの特設ページによれば、現在35以上の肌の色と9つの体型のバリエーションがあるそうです。 職業やジェンダーなど、いろいろな形の多様性がありますが、古くから発達していた分野からごく最近変化のあった分野まで、時系列順に並べると、米国の社会における各時代の変化をとてもよく反映していることが分かります。

コロナ禍でマスクをしつつ、Black History Month(黒人歴史月間)の2月にデモに参加する人形たち(左から二人目は白斑のある人形)。称賛しているコメントが多い中、「こういった活動には白人のバービーやケンも参加しなくては意味がない」と言う指摘も。

多様性に強い関心がある私としては、こうした選択肢の広がりがとても嬉しいです。もちろん、こういった変化の裏には商業的な理由がありますし、「少し進歩があったとしても、バービーは所詮きれいという理由だけで称賛される、典型的な『女の子のためのおもちゃ』であり、女性にとって大きな飛躍とは思えない」「子供の頃丸かった私がふっくらしたバービー人形を人からプレゼントされたら、逆に絶望しただろう」(それぞれ筆者訳)といった批判もあります。また、先日別の投稿で、「人型の絵文字をどれほど作り続けてもきりがなく、作れば作るほど、そこに自分の姿を見い出せない人を失望させる」と書きましたが、人形についても似たようなことが言えるでしょう。 ただ、全体としては、よい方向に進んでいると思います。

人間ではないシルバニアファミリーの魅力

私は本来、そこまで人形に興味がなく、子供の頃も、人からいただいたジェム(当時放映されていたアニメの主人公で、ロック歌手兼レコード会社の社長)の人形を持っているだけでした。通常はおとなしい社長が時折派手な歌手に変身するということで、服も二セットあり、 今考えれば、アーティストとビジネスリーダーと言う二つの仕事を持つ女性はかなりかっこいいと思います。ただ、日本やハワイに縁のない白人だからか、興味のある職業でなかったからか、当時はそこまで感情移入できませんでした。

私は人間よりも動物に惹かれ、シルバニアファミリーがとても好きでした。小さな家具やお皿のセットを徐々に買ってもらって集めては、クマやウサギの一家で遊んでいました。シルバニアファミリーのウェブサイトは、「自己投影できる多彩なキャラクターたち」と遊ぶことが「人と関わるコミュニケーション力を豊かにする」としていますが、私はそれが適度な投影だと思います。つまり、 動物ですので、人間である自分と肌の色や体型等を比較して落ち込んだりする心配はありません( 私は、人型の絵文字よりもピトグラムの方が、人種等を超えて皆が共感できると考えていますが、それと同様です )。また、違う種類の動物が次々に登場し、共生しているシルバニアファミリーの世界は、多様性への意識も育むように思います。

ただ、今再考すると、さらなる進化の余地はある気がします。たとえば、主に日本の子供が対象であるだろうにもかかわらず、シルバニアファミリーの服装、家、街並み等は皆西洋のものなので、なんとなく欧米中心で、日本らしさがあまりないのが残念です。また、「ファミリー」というブランド名からして家族の大切さを示している半面、セットとして売られている各ファミリーにはお父さんとお母さんが一人ずついて、子供も親と同じ種類の動物であるようです。シングルペアレントの家族、お母さんが二人いる家族、動物の種類が混じった家族などはないため、実世界のいろいろな家族の形を反映したい場合には、複数のファミリーを買って組み合わせるしかなさそうです。

数年前にデパートでシルバニアファミリーの特別展に通りかかり、懐かしくて等身大(?)のショコラウサギファミリー一家とパシャリ。気付けば後ろには5歳くらいの女の子が順番を待っており、恥ずかしかったです💦 (2019年12月、新宿小田急デパートにて)

リカちゃんと解釈の強み

日本の人形で一番知られているのはリカちゃんでしょう。趣味がファッションやお菓子作りということで、どのリカちゃんもお洒落でおしとやかなイメージです(スポーツも趣味だそうですが、あまり行動が伴っていません)。バービーに比べるとバラエティが少なく、多様性と言う意味でそこまで進化がないようです。

他方、リカちゃんのイメージを覆す面白い試みをされている方がいます。ある20代の会社員の女性がずぼらなリカちゃんの写真や動画をインスタグラムに挙げており、それがとても話題になっています。NHKがインタビューしたところ、その女性は「自分がリカちゃんだったらどんなんだろう、自分を投影してみようと思った」そうです。また、「家の中くらいこんなんでもいいじゃんって自己肯定感を高めている」とも語っています。私も各投稿にとても共感し、毎度細かいインテリアに感嘆しています。人形そのものは変わっていないのに、服装や周囲のもので解釈を変えることにより、ありのままの世界を示しています。だらしないリカちゃんは、 多様なバービーよりもさらに親しみやすく、温かみのある人形に見えてくるから不思議です。

数ある「現実を生きるリカちゃん」の投稿の中でも、私が最も共感したものの一つ。

人形への投影

人形は、少なくとも日本では、元は自己を投影するものでした。病気等を避けるため、自分の災厄を人形(ひとがた)に託して川に流したのがお雛様の起源であるというのは有名な話です。神事においては、自分の代わりにお祓いを受けてもらうこともできます。コロナ禍を受け、鶴岡八幡宮などは、自分でお祓いができるように、紙の人形(ひとがた)と、それを納める箱を常時設置しています。

今、鶴岡八幡宮では茅の輪をくぐり、人形(ひとがた)を納めることができます。(2020年2月)

人形(ひとがた)は人形(にんぎょう)になりましたが、今でも私たちはそこに自分を投影しています。米国の非営利団体「A Doll Like Me」は、注文を受けて、多様な子供たちと同じ姿の人形を作っています。同団体のフェイスブックのページは、皮膚や四肢などが他人と異なる子供が人形を抱えて微笑む写真でいっぱいです。 人形の作者である女性は、「人形は、ストレスの多い状況に子供が対応するときに助けてくれますし、何より、子供に自信を与えます。そのためにも、人形は、彼らを愛してくれる子供たちに似せて作られるべきなのです(筆者訳)」と書いており、人形の料金を取らずに寄付金だけで経営を行っているようです。

同時に、人形の発達を受け、私たちはいつの間にか、人形の姿からインスピレーションを受けるようにもなりました。人が人形に投影していたのが、人形から人へも投影するのです。昔の人が病を託していたお雛様は、今では少女の成長を祝い、結婚や家庭を象徴するめでたい道具となっています。(素晴らしい伝統ですが、これまた、明確なジェンダーロールや結婚に対するプレッシャー等が今後問題になって、変わりゆく可能性はあると思います。)

ウエストが恐ろしく細かった昔のバービーは、少し強制的な理想像でした。今のロールモデルのバービー人形は、実在の大人に似せているので、ある意味ありのままの姿ですが、同時に、将来を夢見る子供にとっては理想像でもあります。 また、ずばらなリカちゃんを見ると、同じ人形でも、環境や服装をどう変えるかによって、ありのままと理想像の間を行ったり来たりできることが分かります。

いずれの場合も、人形はコミュニケーションツールだと言えるでしょう。人形の作者、人形を買って子供にあげる大人、社会の風潮などがすべて織り交ざって、人形をもらう人に対して、各々のメッセージを作っています。「こうなったらいいよね」、「こんな夢も君なら実現できるよ」、そして、「ありのままの君でいいんだよ」、と。

小さなシルバニアファミリーにも、さらに小さな人形(写真右下)が出てきます。ヒツジの子供がウサギの人形を持って育つとどうなるか、考え出すと興味深いです!

今の社会は、どんどん自分らしさを前面に出す風潮となっており、そのため、人形にも多様性が反映されていると言えます。全体として、日本の人形はバービーをはじめとする米国のものに遅れていますが、今後状況は変わっていくと期待しています。また、ずぼらなリカちゃん、車椅子に置かれたバービー、家族が混ざったシルバニアファミリーのように、出来合いのものを買ったとしても、そこから先の解釈は、私たち自身が変えることができます。

人形を見た時、私たちは、今の自分、もしくは将来なりたい自分を無意識に探してしまいます。常に共感したい気持ちでいっぱいで、自分との共通点を見つけた時には、思わず嬉しくなってしまいます。もし今後誰かに人形を買う機会があれば、その瞬間に気に入ってもらえるかだけでなく、どうすれば長期的に心が休まる空間を提供し、自信やインスピレーションのリソースとなってもらえるかも考えたいと思います。

7-Day Book Cover Challenge (Day 3): “The Joy Luck Club”

Introduction:

This bilingual post was originally written for social media, and is part of the “7 day book cover challenge.”

「7日間のブックカバーチャレンジ(3日目):『ジョイ・ラック・クラブ』」

この投稿は、もとはSNSのブックカバーチャレンジのために書かれたものです。英語の本文の後に日本語が続きます。

The third book is Amy Tan’s The Joy Luck Club. I’m especially excited that I get to write about this during Asian Pacific American Heritage Month, as well as a few weeks after Mother’s Day.

I was blown away when I first read The Joy Luck Club in high school. It was the first time that I could see someone similar to myself in a book written in English: Asian American women who struggle with the dichotomy of two cultures. Because during my childhood, even in Hawaii, the most iconic books were written by and for Caucasian children. It was especially bad with picture books: an Asian kid occasionally made an appearance as a classmate or friend of the white main character, sporting slanted eyes and unreadable expressions. Hawaii bookstores did feature local authors who wrote more diverse characters, but they were harder to come by. So in most stories I read growing up, I felt like a bit of an outsider.

I was super excited to see her on stage at the 2018 National Book Festival (she’s on the left, with her iconic hairstyle)! I bought her memoir but didn’t have the chance to ask for her autograph.

What I love even more about The Joy Luck Club is its focus on immigrant mothers and their second-generation daughters, each with different back stories and personalities. The book really resonated with me because, like those daughters, I was also desperate to fit in the United States, and often narrow-mindedly cast away my mother’s–and my own–culture.

My mother was no “tiger mom,” but she certainly seemed stricter than other parents. She is tall, beautiful, smart, and confident, and growing up, I often felt that I didn’t live up to her expectations. But I also remember a few instances when I hurt her, especially because of the bicultural environment. Once, when I was in second or third grade in Hawaii, my classmates and I were hiking in the mountains, and she joined us as a chaperone. She spoke to me from behind in Japanese, warning that my backpack strap was slipping from my shoulders–and I turned around and said to her sharply, “I told you to talk in English in front of others!”. She apologized, looking surprised and embarrassed. I had wanted to fit in with my American classmates, and wanted to appear strong, as if I didn’t need my mom’s help. I’m now so ashamed that I treated her that way, especially when she’d joined the trip for my sake. In retrospect, I think this was the first time I realized that my seemingly almighty mother could be hurt by my thoughtless words. Now that I’ve matured, we’ve come to understand each other much more–and I’m so thankful for the stronger relationship we now have.

Amy Tan is such an icon and pioneer Asian American woman writer. I understand she has her critics about stereotyping, and to be honest, I don’t think I would be as receptive if she wrote stories based on Japanese history and culture. But I will never forget how much comfort The Joy Luck Club gave me when I first read it, and I believe she paved the way for generations of writers.

The 1993 movie, which I sometimes still talk about with my mother, was unforgettable. While it is shocking that a quarter century (!) had to pass before another major American movie with an all-Asian cast was created (Crazy Rich Asians), it is also amazing how progressive The Joy Luck Club was when no one else was willing to create a movie like that. Either way, I hope I can someday also create stories that bring together diverse characters and universal themes.

From an exhibit on influential baby boomers at the Newseum (2015). I found hope in the fact that she started publishing later than some other authors.

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3日目はエイミ・タンの『ジョイ・ラック・クラブ』。高校生の時に読んで、アメリカの本で初めて、自分と似た境遇の登場人物(二つの文化の間でアイデンティティを探すアジア系アメリカ人)に出会い、深く共感しました。話の根底にあるのは4組の母娘(中国からの移民である母親たちと、中国系アメリカ人の二世である娘たち)の関係で、一人っ子の私も母親と喧嘩することが多かったので、いろいろと考えさせられました。

エイミ・タンは、中国に関するステレオタイプが多いという批判も受けていますが、アジア系アメリカ人の作家(特に女性の)として先駆者の一人だと思います。私もいつか、マイノリティである登場人物と普遍的な感情の双方をお話に盛り込むことができれば、と思います。

The 2016 Annual Conference of my former workplace, the U.S.-Japan Council, welcomed Tamlyn Tomita (left), one of the actresses in “The Joy Luck Club.” She was as beautiful as ever, and really encouraging of Japanese American leaders. (Photo borrowed from USJC)