Black Lives Matterをめぐる言葉の考察

英語の概要(日本語の本文が続きます):

“Thoughts on Wording Surrounding the BLM Movement”

Some of the phrases we have been hearing in relation to the BLM movement are difficult to convey in Japanese, and I wanted to really sit down and look into them. Here’s a Japanese blog post that explores some key phrases–what “Black Lives Matter” means, why we ought not to say “All Lives Matter,” how “defund the police” could be interpreted, and the difference between “Black” and “African American”–based on what I thought and learned from friends and other articles.
ワシントンDCの市長が命名したブラック・ライブズ・マター・プラザとそこで抗議する人々(2020年6月)

2020年でこれまでにないほど大きな動きとなっているBlack Lives Matter。今年の抗議が始まって3週間以上経ちますが、その波紋は広がるばかりで、今度こそ、全米、ひいては世界で画期的な変化につながることを期待しています。

日本語でもこの動きを解説する多くのリソースがあり、黒人でない私に更なる説明を行う資格はありません。しかし、報道等では伝わりづらい表現や言い回しがいくつかある気がしますので、言葉に焦点を当てて、 自分が今回考えたことや学んだことを少し述べたいと思います。

Black Lives Matter

このフレーズは非常に訳しにくく、日本の報道においても様々な表現を目にします。

まず、直訳して「黒人の命大切」という表現を使っている報道を多く見受けます。ただ、「は」は、他の方の命は大切でないような、排他的なニュアンスがあると思います。そういった意図はこの動きにありません。SNSなどで流れている以下の画像がうまく説明していると思います。(下記のAll Lives Matterについての箇所もご参照ください)。

SNSより:「『Black Lives Matter』と言っている私たちは、黒人の命だけが大切だとは言っていません。すべての命が大切だということは分かっています。ただ、黒人の命が危険に晒されているため、Black Lives Matterの動きで皆さんの支援が必要なのです。」

「黒人の命大切」としている報道もあります。こちらの方が、実際のニュアンスに近いです。この動きを説明している英語の記事や本でも、口にはされないtooがあるのだと説明したり、括弧書きでBlack Lives Matter (Too) としたりしています。ただ、ハフポスト日本語版が「黒人の命も大切」と訳したところ、黒人の人たちが受けている差別を矮小化しているという意見もあったそうで、これもご指摘の通りだと思います。ここからは個人的な見解ですが、英語でtooを付けないのには、黒人の命が他の命と同等であるべきだからこそ、追加的に言わなければならないことではない、という意図があると思います。したがって、口にされていないtooを日本語で付けてしまうと、誤訳になってしまうのです。

「は」も「も」も違うのであれば、「が」を使うべきなのでしょうか。それぞれの助詞を使って「黒人の命〇大切」で簡単なウェブ検索をすると、「は」約33万件、「も」約19万件に対し、「が」はわずか4万件しかありません。正直、少し唐突に「が」を使っているような、文法的に不自然な感じは否めません。

個人的には、答えはmatterと言う言葉にあると思います。ここで「大切」と訳されているこの言葉は、より広く使われる important(重要)やvaluable(貴重)とは異なる意味があります。Matterという言葉は、「事柄として考慮すべき」という意味で、一見、importantやvaluableほど強く聞こえませんが、それは使われる状況が異なるからです。後者二つは、相手が特に先入観のない、白紙状態の会話で使われ、0からプラスの状態に持ち上げます。他方、matterは、相手が大切だと思っていないことに関して、「実は大切なんです」と訴え、マイナスの状態から上げていく言葉です。Matterが名詞としては「物質」や「案件」などを意味することを考えると、動詞としても「存在してないと思われていることが存在している」という意味が込められていると思います。黒人の方の命は、これまで軽視されてきました。400年前にアフリカから連れてこられた時から、奴隷として働いた時も、公民権運動の前も、その後もずっとです。あの警官はジョージ・フロイドさんを人間として見ていないから、首を膝で押さえつけたりすることができるのだと思います。したがって、Black Lives Matterは、「これまで軽視されていた黒人の命は大切」と言う意味になり、そこまで書き出すと、「は」が排他的に聞こえなくなります。(6月20日追記:背景も含むとこのような形になりますが、この長い言葉が最適な訳だと提案しているわけではありません。たとえば、こちらのNHKの記事には、より自然に聞こえる意訳がいくつか提示されています。)

こういった意味をすべて、Black Lives Matterというシンプルな3つの単語、抗議でも唱えやすい4つの音節に凝縮しているのはすごいことだと思います。正確な訳に関する議論は今後も続いていくでしょうが、これだけ大きな動きとなった以上、もはや毎度無理に訳さなくてもよいのではないかと思います。ニュアンスが一度伝われば、カタカナが一番誤解を生まずにすむかもしれません。また、そのような形で日本における外来語として皆に認識してもらった方が、日本においても着目すべき概念だということがより伝わるのではないかと思います。「命が大切」という、当然であるべきことを、わざわざ大々的に言って抗議しなければならない...それほど事態は深刻です。

All Lives Matter

日本語の記事や投稿がいくつか解説していますが、残念ながら、All Lives Matter(すべての命が大切)という言葉は適切ではありません。正直、初めてAll Lives Matterと言う言葉を聞いたときには、黒人でない自分も含まれている気がして、私も少し嬉しくなりましたが、その後この言葉に関する多くの解説を見て、それが間違いであることに気付きました。

前述のように、Black Lives Matter の言葉に排他的な意図はありません。「すべての命が大切」なのはいうまでもないのですが、黒人の命は軽く扱われてきたからこそ、こういった運動で黒人に特化した言葉ができています。そもそも、matterの意味を踏まえると、恵まれている人も含む「すべての命」とはそぐわないことが分かります。Black Lives Matterと同じ言葉を使って真似しているものの、その言葉の重みは考慮できていないことが明らかです。

今では、All Lives Matterという言葉が、せっかくのBlack Lives Matterを無に帰す、黒人の方に対して無神経な言葉だと言われています。All Lives Matterを口にする人には、善意から、黒人でない自分も動きの一部になりたいという方や、分断をなくし命の大切さを皆で一緒に語ろうという意思がある方も多いと思います。White Lives Matterという看板を持って練り歩く白人至上主義者とは全く異なります。しかし、このように、今の状況下ではAll Lives Matterと言う言葉はネガティブな意味合いを持ちます。

SNSで使われていた別の画像も添付します。黒人の人々が苦しんでいるときに言うべきことではなく、ましてや、彼らが経験してきた差別を知らない私たちが言うべき言葉ではありません。

SNSより:「もし私の妻が、明らかに苦しんでいる状態で『私のこと愛してる?』と聞いてきたら、『皆のことを愛してるよ』と返すのは正確な答えかもしれませんが、その状況においては残酷であり、彼女を傷つける言葉です。もし私の同僚が、明らかに落ち込んでいる状態で『父親が死んだばかりなんだ』と言ってきたら、『誰の親でも死ぬよ』と返すのは正確な答えかもしれませんが、その状況においては残酷であり、その同僚を傷つける言葉です。友人が明らかに苦しみ、傷ついた状態で『Black lives matter』と言ってきたら、『すべての命が大切だよ』と返すのは正確な答えかもしれません。しかし、この状況においては残酷であり、その友人を傷つける言葉なのです。(ダグ・ウィリフォード作)」

別の例としては、こちらの漫画もあります。複数の家が並んでいる中で一つ燃えているとき、すべての家に放水するのは無意味なことですし、燃えている家への対応が遅れます。なお、この漫画は2014年のものです。その時から既に、もう6年も、All Lives Matterという言葉に対する説明がなされており、米国ではその認識がかなり浸透してきたように思います。今回、Black Lives Matterが世界全体に広がり、それとともに、悪意のないAll Lives Matterと言う言葉がまた人々の口に上るようになってしまったのかと思います。しかし、私たち個人がどれほどポジティブな形で解釈したとしても、それを今言うことは、黒人の方々の動きに水を差してしまうことになります。

Defund the Police??

抗議の次のステップとして、警察を今後どうしていくかということも話し合われています。スローガンとしてdefund the policeという表現が頻繁に使われていますが、このdefundという言葉は、米国で大きな物議を醸しています。英語でもほとんどの人がこれまであまり馴染みがなかった言葉(このブログを書いているワードプレスでも、スペルチェックに引っ掛かります)であるため、各々が異なる解釈を行っているのです。

CNNアトランティック誌ヴァイスなどの多くのメディアが、defund the policeが何を意味するのかという分析を行っています。アトランティック誌の記事の見出しは「『Defund the police』という言葉は、defund the policeという意味ではない。ただし、そういう意味の場合もある」(副題:「文字通り解釈すべきなのか?」)です。この言葉がどれほどの混乱を招いているかをよく示していると思います。

主要メディアに加え、オンラインの辞典であるdictionary.comも本件に関する記事を出しています。それによると、defundと言う言葉の定義は、to withdraw financial support from, especially as an instrument of legislative control(法的統制のツールとして、財政支援を止めること)とあります。また、「多くの活動家や研究者、一部の政治家によれば、defund the policeは、『お金の力を使って、これまでの漸進的な変化では達成できなかった制度的改革を行う』と言う意味」だとも書いています。

最初にこの言葉を聞いたとき、私は、資金停止はとどのつまり解体だということだと思い、あまりに極端だと思いました。実際、解体と言う意味で使っている活動家もいます。しかし、これらの記事を読んだり人の話を聞いたりすると、「政府やコミュニティ内に置ける資金の再分配」を指して使っている人が大半のようだということにも気付きました。何に分配するかというと、たとえば、上記CNNの記事で引用されているBlack Lives Matterの動きの共同創設者は、「これまで資金を取り上げられてきた黒人のコミュニティに投資し、これまで警察が対応してきた人たち(心の病やDVに苦しんだり、家がなかったりする人)に対する福祉サービス、学校や病院、住宅や食料の供給に使える」としています。中道派のバイデン大統領候補など、それも抜本的過ぎると考える人もいますし、賛成派の間でも、具体的に何に投資するかで意見が分かれることが容易に想像できます。こういった諸々の意見を踏まえ、警察を持つ自治体や政治家が、各々の対応を検討しているようです。

それにしても、もう少しいいスローガンはなかったのでしょうか。皆が合意できない言葉と言うのは、活動や抗議をしている人たちを分断させますし、それぞれの自治体においても、人々との話し合いに苦労するだろうと思います(フロイドさんを殺害した警官が所属するミネアポリスの警察は、いち早く本当に解体されることとなりましたが、ここまでの対応はなかなかないと思います)。私の知り合いには、demilitarize (非武装化)という言葉を使うべきだという人もいます。資金の削減が警察の武器を減らすことにつながるなら、今回まさに問題の一つとなっている警察の武力行使(フロイドさんはじめ黒人の方々のみならず、抗議者に対しても)をなくしていくことになるため、私もそれはいい案だと思います。

Black Lives Matterは、黒人が米国の警察に何度も殺害されていることに対する抗議運動として端を発したため、各地における警察の見直しは、大きな進捗だと言えます。黒人の親が子供に必ず警察への対応の仕方を教えなければならず、特に男性の命が危険に晒される状況には、本当に心が痛みます。他方、制度的差別があまりに根深く、社会のあらゆる側面に浸透しているため、目の前の具体的な問題(警察のことのみならず、南北戦争で南軍を率いた人々の像の撤去など)で進捗があっても、より大きな問題はなくなりません。今後論点がずれていったり、象徴的な進歩で大きな目標が見失われたりしないことを願っています。

BlackとAfrican American

Black Lives Matterの中心にあるBlackという言葉。恥ずかしながら、私は先日までこの言葉がAfrican Americanと同じ意味だと思っていました。正直、Black はもともと肌の色から来た言葉なので、自分がyellowと呼ばれたら嫌なように、その言葉自体、黒人でない私は言ってはならないのかと思っていました。また、子供の頃、正しい表現はAfrican Americanだと習った覚えがあったため、そちらを使うよう努めてきました。でも、これも間違いでした。

黒人の友人と話したところ、アフリカから移民してきたばかりの人はAfrican Americanと呼べるかもしれないが、自分のアイデンティティはBlackだと説明してくれました。先祖を辿って、アフリカから来たらしいということは分かっても、具体的にいつどこからといった詳細は分からず、個人的にアフリカとの絆を感じないとのことです。更に、黒人にはアフリカ以外の場所(たとえば西インド諸島)から来た人も、アメリカ人ではない人もいるため、そういった人たちも含めることができるBlackという言葉の方が包括的なのだそうです。(別の人が作成したこれらの画像も、この二つの言葉の違いをうまく説明していると思います。)

African American の方が正しい言葉なのかと思った、と友人に説明したところ、世代間のギャップはあるとの話でした。つまり、公民権運動を経験した彼女のご両親の世代は、黒を意味する差別的な古い言葉「ネグロ」から距離を置くため、African Americanを使っているそうです。若い世代の方がBlackという言葉に共感を覚えるのだそうです。

この話からいろいろと考えさせられました。私はアジア系アメリカ人としてのアイデンティティを持ち、日系人全体が比較的新しい移民だということもあって(日本からの最初の移民「元年者」は約150年前に来ました)、マイノリティのアメリカ人は皆「〇〇系」と呼べると勘違いしていました。黒人の方は、人によっては先祖が米国に来たのは400年前ですし、アフリカと距離があるのは当然ですよね。また、世代間のギャップや、自分が子供の時受けた教育と状況が異なることからも、言葉は生き物だということにあらためて気付かされました。

今私たちは、歴史的な動きの渦中にあると信じていますし、自分に何ができるかと考える日々が続いています。言葉という観点からも、これらのものが今後どのように進化していくのかを見続けたいと思います。

ブラック・ライブズ・マター・プラザに大きく書かれたBlack Lives Matterの言葉の冒頭の部分。

The Momentum for Change

–Thoughts on the Black Lives Matter movement

Summary in Japanese (the full text in English continues below):

「変化を起こす力」

ワシントン近辺に住むアジア人として、今の自分に何ができるのか。同じマイノリティとして、いても立ってもいられないけれど、こんなに知識がない私に運動に参加する資格があるのか。答えが分からないまま、毎日のニュースに感じる悲しみや怒りや失望に関して、少しずつ書き溜めてきました。

一昨日、DC市長がホワイトハウス前の道の一部をBlack Lives Matterプラザと命名し、大きな文字で書き記しました。私もようやくポジティブな気持ちを取り戻すことができ、抗議に参加してきました。今後はもっと人の話を聞き、勉強して、制度的差別の状況をきちんと知りたいと思います。もう何年も黒人の方に対する警察の暴力が露呈しており、毎度抗議や暴動、大々的な報道があるのに、未だに繰り返されることが信じられません。今度こそ、これがモメンタムとなって、差別がなくなっていくことを切に願っています。

The DC flag at the end of the “Black Lives Matter” sign. This sign has definitely made me very proud of the city!*

The past ten days have brought so many emotions, it’s been hard to put them into words. Everyday, I seem to experience something different:

  • Shock that we are here again, with yet another incident of policy brutality against Black people. 
  • Utter embarrassment that an Asian officer just stood and watched. 
  • Shaken by the images and accounts of riots, especially from friends who experienced it. 
  • Outrage at looters and violent instigators who took advantage of this moment. 
  • Sadness for the restaurant workers who endured closures, as well as doctors who continued to help others through the pandemic–only to have their places destroyed. 
  • Relief in seeing the solidarity of communities that clean up together after the violence.
  • Heartened by how the BLM movement has spread worldwide. 
  • Frustration at the difficulty of conveying to Japan the many layers of this complicated issue.
  • Disbelief that the leader of our country tear-gassed peaceful protesters just so he could walk and make an empty gesture. 
  • Guilt that continued to grow each day–that I’m not doing anything as a minority, especially when I’m in DC.
  • Overwhelmed by the sheer volume of news, information, advice, and opinions.
  • Shame about my own ignorance and biased opinions.

. . . The list goes on and on. I’ve been writing little by little, and it has been hard to make it cohesive. But I think two things have really helped in recent days: things are finally starting to be peaceful and hopeful; and I got to take part in the protests. 

The storefront of Teaism, which was set on fire. Even after that, the co-owners have shown support for BLM. I’m sad remembering the many lunches and teas I’ve enjoyed here, including Japanese food like ochazuke. I am now even more motivated to frequent one of their stores again.

Responsibility as an Asian American 

One of the hardest things for me has been to figure out my role as a fellow minority who faces some racism, but whose experience is very different from Black people. 

I cannot even begin to imagine what it is like to face such oppression every single day. I have been a recipient of some discrimination or racial slurs, but have never been suspected of crimes or deemed dangerous simply because of the way I look. I often forget how much we benefit from civil rights movements and all the other efforts that Black people have made towards equality. We’ve received so much–but are not giving back enough. 

Biases

This has been a time for self-reflection as well. I grew up in Japan and in a state whose African American population is 2%. As a child, I did not know anything beyond what I read in classical literature; saw in television (Gordon from Sesame Street!), movies, or the news from the mainland; or learned through very limited personal interactions. This is simply an excuse, of course. After all, DC’s African American population is 46%. And at any point, including in college and as an adult, I could have made more of an effort to seek information and get to know more people. Have I clutched my bag tighter based on the appearance of strangers I’m passing by? Have I bombarded my patient Black friends with ignorant questions? Yes; I’m ashamed to say that I definitely have. I look forward to learning and improving through dialogue and resources (books, films, articles, videos) that have recently been circulating. 

With the current protests, I initially wondered if I am qualified to speak up. I wanted to say something in solidarity, but was embarrassed about my lack of knowledge and experience on this matter. But as an Asian woman, I have striven to promote diversity and equality, and decided that I should contribute in my own way.

Police Brutality

I learned about Rodney King in school, but did not realize until a few years ago–when Michael Brown, Freddie Gray, Philando Castile and many, many more became household names–that nothing has changed in almost 30 years. I am in disbelief that these incidents continue to happen, despite the protests, civil unrest, and wide media coverage–and that we tend to forget once something else replaces the headlines. (And as others have pointed out, these are only incidents that we know about.) 

Of course, the police needs to change, and I’m glad that’s beginning to happen. But those terrible police officers didn’t act the way they did just because they happen to be more violent. It starts with mindset, which is shaped by education, representation in media, cultural discourse, relationships, and more–so I think we are all responsible for changing things collectively, even if each step might be indirect and small.

I am hopeful that this time, things will be different. We all know nothing will change overnight. But what has been heartening is that, thanks to anyone being able to film and spread information quickly, we are now more vigilant than ever. I do believe that the protests had a hand in upgrading the crime of the first officer, as well as the arrest of the three other officers. And I am hopeful that this movement, now bigger than ever before, is leading to a cultural shift where individuals like me will commit to being more mindful of their words and actions regarding race.

The Center of Action

While the protests began in Minneapolis, DC is very much one of the focal points of this movement. Being here in this moment has been scary and fascinating at the same time. I luckily did not experience riots or heavy policing in the suburbs that I live in. But I was heartbroken to see that many of the buildings I’ve frequented in downtown DC are now destroyed. I’ve enjoyed many lunches at restaurants near the White House (which is a 15-minute walk from my former workplace), and felt especially sad that this happened when dine-in services had finally resumed the day before. I also remember my interactions with the kind doctors, pharmacists, and other staff at the urgent care center and CVS that were destroyed–these professionals risked their own health to continue working during the pandemic. I understand that lives are much more important than properties, and hear that this point had to be made physically because peaceful means were not effective enough. I simply wish we would not have to spread the sadness and anger like this. 

On the other hand, it has been wonderful to see the decisive action by the DC mayor to emblazon 16th Street with the sign “Black Lives Matter.” While there’s criticism that this is a publicity stunt against the White House and that real action is lacking, I do think that, in this moment, this sign is exactly what is needed. I felt that the street became a symbolic safe zone, and this gave me the courage to finally shake off the fear and hesitation I had in joining the protests. I just wanted to celebrate this happy occasion by standing there with my own two feet.

The wonderful man on the right kept singing and keeping people upbeat. This song was “Lean on Me,” and several people were dancing.

Facing Forward

Sure enough, when I visited yesterday, Black Lives Matter Plaza was the center of activities, be it chanting in front of St. John’s Episcopal Church or dancing and singing in front of the letters. While the boarded up buildings were stark reminders of the violence during the past week, the overall vibe was positive and encouraging.

Even three months ago, none of us could have imagined this surreal scenery: people dressed in surgical masks and black attire kneeling in front of a caged Lafeyette Park, surrounded by boarded storefronts and vandalism. It sounds apocalyptic, if not for the fact that we were all there because of hope for a better future. I have faith that this is a historical moment. One day, we’ll look back and say: this is when the tides finally began to change.

Kneeling in front of the fenced Lafayette Square (the tip of the Washington Monument can be seen in the distance). Some hands are raised in response to the chant, “Hands up, don’t shoot.”

*PS: I finished this blog post on a positive note last night and was getting ready to post it–but found out this morning that apparently someone defaced the DC flag at the end of the “Black Lives Matter” sign overnight, converting it into an equal symbol (=) that leads to the words “Defund the Police.” I’m very sad that someone used this powerful sign to promote their own view, stripping away the proud moment many of us felt about being in DC. It didn’t even last 48 hours.

PPS: Apparently DC authorities will not erase the “Defund the Police” message, but instead repaint the three stars so that it’s no longer an equal symbol. Perhaps this is again symbolic of the fact that we cannot be complacent with little victories; that this is a neverending fight; that there are divisions even among allies; and that dialogue must continue in every direction.

Inspired by global business leaders

–Interpreting for the Kansai Keizai Doyukai in DC and Cambridge

Last month, I had the opportunity to interpret for delegates from Kansai Keizai Doyukai (the Kansai Association of Corporate Executives), as they participated in their annual symposium at the Harvard Kennedy School. Every year, they participate in a one-day symposium in Cambridge with professors at the Kennedy School–and also visit another city (for this year, DC) to exchange views with opinion leaders. This was meaningful to me in many ways.

A view from the booth at Loeb House at the Kennedy School, prior to the symposium

Memorable reunions

First, the interpreter who was kind enough to bring me onto this project was someone I’ve admired for years. I met this interpreter more than ten years ago, when she trained many of us Japanese language contract interpreters at the State Department. We lost touch for a bit–but reunited about a year later in New York, where she was kind enough to give me a few jobs. I lost touch with her again after that (I left the country for a while, and by the time I returned, her old email address no longer worked). Then in 2017, I attended a dinner in DC as a USJC staff member–this dinner was with the Kansai Keizai Doyukai on their annual symposium trip, and accompanying them was the interpreter I had wanted to see for so long! It turned out she had worked with this group for decades. So I was really happy to get to work with her directly this year. She joined the Cambridge portion of the program, and from her and the other senior interpreters, I learned so much about the craft of interpreting, as well as next steps I could take in my career. 

One of the delegates was also a familiar face. She was a participant in a 2017 International Visitor Leadership Program themed on women’s empowerment. This is an annual program that Kankeiren (the Kansai Economic Federation) conducts with the State Department, and the 2017 delegation that I interpreted for visited Boston and LA. She was kind enough to bring me a gift from Japan: a cute stomach warmer (haramaki) with a kitty on it! I’ve never owned a haramaki so I’m very excited about it 🙂

The cute haramaki with a kitty!

Another nice aspect about this project was that the DC itinerary included a lunch with the U.S.-Japan Council President, Irene. It’s always nice to interpret for USJC, as it feels like bringing together different aspects of my life.  

U.S.-China relations and digital transformation

The DC portion was filled with meetings with thinktanks, and it was great to hear their opinions on the latest developments in U.S.-Japan relations and security in the Indo-Pacific, as well as the rapidly changing relationship between the United States and China. Many of the business leaders in the delegation have worked globally for years, and asked tough questions, often directly in English, about the U.S.’s current and future stance. 

In Cambridge, we took a tour of the Harvard Art Museum, a new, modern Renzo Piano structure uniting three older museums. Our group’s student tour guide did such a great job explaining about the works of Klimt, Picasso and more, that we went beyond the time limit with numerous questions and observations. 

The entrance to the Harvard Art Museum

With the symposium at the Kennedy School, half of the focus was on U.S.-China relations (I was amazed to have the opportunity to interpret for Professor Joseph Nye, whose work I’ve admired since college!). The other half was on the digital transformation of society. When a poll was conducted on how the symposium participants think digital technology will mean to humans 20 years from now, the results were fascinating: most of the Japanese delegates thought digital technology would be a “friend,” while most of the American professors thought it would be a “servant.” To this, symposium participants remarked that Japanese pop culture like Astro Boy and Doraemon might have played a role in shaping the mindset that robots are friendly–which is fascinating to me!

This year’s theme was about security and society in the digital age

I was very inspired by the business leaders who were not only engaged in their own communities and region (Kansai), but also participated in global, cross-sector discussions to shape the future of their companies. This was a really fun project, and I hope I’ll have the chance to work on it again in the coming years!

Making complicated policy issues accessible

–Interpreting a talk with a former Defense Minister

A view from the booth prior to the start of the event

Last month, I had the opportunity to interpret for the Stimson Center’s “Voices of Japan” events. One of the key events was a public discussion with former Japanese Defense Minister Itsunori Onodera.  

Minister Onodera spoke about Japan’s National Defense Policy Guidelines, the importance of the U.S.-Japan Security Alliance, security in the Indo-Pacific region, North Korea, and concerns about the ongoing conflict between Japan and South Korea. But the biggest theme was the rise of China in every realm: technology (5G), economy (trade wars with the U.S.), geoeconomics (the Belt & Road Initiative), as well as its humanitarian crises and surveillance system. (A video of the event is available here.)

The program

Minister Onodera was such a great speaker. The fascinating content illustrated how many complicated issues in the world are interrelated, but it was always easy to follow. He was also an ideal person to interpret for, speaking slowly, logically, and with good enunciation. During the Q&A with moderator Ms. Yuki Tatsumi, Director of the Japan Program at the Stimson Center, he said something funny on a few occasions–and when the audience didn’t catch on right away, he followed up with, “That was a joke, so I hope you’d laugh”! Jokes are often a big challenge for interpreters, in terms of the pressure to relay the humor to the audience–so him asking the audience to laugh made our jobs easier (and took away some of the pressure from some very serious topics!).

Minister Onodera was obviously extremely knowledgeable but also seemed very humble and down-to-earth. I’d previously heard praises from bureaucrats who’ve worked with him, and now I see why! I hope I’ll have the chance to interpret for him again in the future.

The many angles of security in U.S.-Japan relations

–Interpreting at the 2019 SPFUSA Security Forum

The view from inside the booth, with Ambassador Sugiyama at the podium (I quickly took this photo when it wasn’t my turn!)

Last month, I had the opportunity to interpret at the Sasakawa Peace Foundation USA’s Security Forum. This is a big annual event that I’d attended in the past, and I was honored to be in the booth this time! This year’s forum was very timely, coming on the heels of the 2+2 talks (discussions among the U.S. Secretary of Defense and Secretary of State, and the Japanese Defense Minister and Foreign Minister). The forum looked at all angles of security, including CPTPP (TPP11) and American and Japanese policy in the Indo-Pacific; last December’s updates to Japan’s National Defense Policy Guidelines; the changing role of the Japan Self-Defense Forces; North Korea; and territorial disputes in the East China Sea and the South China Sea.

I did my best to study materials that I knew would be a part of the discussion–it was basically like an intense all-day exam. But there were topics that I wish I’d thought to review ahead of time. For example, in discussing China, an audience member brought up the concentration camps in Xinjiang; another speaker shared his thoughts on Huawei’s 5G technology and entry into the British market. I need to be much more diligent about consuming news in both languages on a daily basis! This also made me realize that China is considered a threat in every aspect: economy, technology, security, and in challenging universal human rights. 

I also interpreted for a brief talk between SPFUSA staff with some of the speakers. This was held at the gorgeous Metropolitan Club. This was my first time there, but I absolutely fell in love with its library. My favorite was the glowing globe (I have a weak spot for anything that glows), which I vowed to own one day in a big, lovely library 🙂 Perhaps because it was cherry blossom season, the library had a small exhibit on Japan, which made the experience all the more special! This special day, interpreting for top scholars and experts on security and East Asian relations, followed by the chance to work in a beautiful building, reminded me how lucky I am to be in DC.