心をつなぐ英語 ⑤ 多様な背景を持つ人との話し方

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

さくら新聞』(DCとヒューストンのコミュニティ・ペーパー)における連載の最新記事です。米国で「Asian & Pacific American Heritage Month(アジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間)」とされている5月は過ぎたものの、日本人や日系人としてのアイデンティティは年中変わりません。第5回は、多様な背景を持つ人と深い会話を楽しみ、いろいろな文化について丁寧に聞く秘訣を取り上げます。

“Compassionate Phrases in English (#5): Talking with People from a Wide Range of Backgrounds”

Here’s the latest article for my column in “Sakura Shimbun,” a Japanese community paper in DC and Houston. The month of May–“Asian & Pacific American Heritage Month”–is over for 2024. But our own identities, as well as the fact that we’re surrounded by people from many different backgrounds, remains the same throughout the year. This month, I focus on the key to enjoying meaningful conversations with people of diverse backgrounds by asking politely about their culture.

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米国で「Asian & Pacific American Heritage Month(アジア・太平洋諸島系米国人の文化遺産継承月間)」とされている5月は過ぎたものの、日本人や日系人としてのアイデンティティは年中変わりません。他のアジア諸国に祖先を持つ人々と共通点を分かち合い、仲良くされている方も多いでしょう。ただ、日本から来たばかりの人や一時的に滞在している人が気にならなくても、米国で生まれ育った人には失礼に聞こえる可能性のある言葉もあります。今回は、多様な背景を持つ人と深い会話を楽しみ、いろいろな文化について丁寧に聞く秘訣を取り上げます。

まず、ごく普通の質問に聞こえる Where are you from? には、よくないニュアンスがあります。筆者はこれを通りすがりの人に聞かれたり、米国の地名を回答しても納得してもらえず、親が日本人であるという答えが得られるまで根掘り葉掘り聞かれるといったことを何度も経験しています。容姿だけで外国人だと判断される、特にアジア系の人が頻繁に直面する差別の一種です。悪意がなくてもそのことを思い起こさせる可能性があることから、このフレーズは避けた方が無難です。誰かと初めて会った時は、今いる町や州をもとに、 Have you lived in Cleveland for a while? などと聞き、出身地や家族について話すかどうかは本人に任せた方がよいでしょう。

出身地の話で言えば、州名に語尾を付けてその住民や出身者を指す(CalifornianMichiganderNew Yorkerなど)場合、ハワイについては気を付けなければいけません。Hawaiian という言葉はハワイ先住民の方を指すからです。ハワイ系でない方については、 How nice that you’re from Hawaii! So you live in Kona? など、別の言い方をする必要があります。

複数の国や地域に祖先を持つ方も多くいます。両親が二つの異なる国から来た場合、英語で「ハーフ」と呼ぶことはしませんし、日本でも失礼な言い方だという認識が広まってきています。相手から親の話があった後、 You said that your parents are Jamaican and Moroccan, but could you tell me more? などと丁寧に聞いた方がよいでしょう。祖先が特定の国から来た、という話があった場合には、 You mentioned that you have Chinese and Irish ancestry, but did you grow up with both cultures? と聞けば面白い会話につながります。どこにルーツがあっても、アイデンティティは人それぞれのため、 Do you identify as Japanese American?Would you consider yourself more French or more Italian? などと明確に聞いた方がその人を良く知ることができるでしょう。

他者の多様なルーツや文化的背景について学ぶことは、米国における醍醐味の一つです。ただ、アイデンティティは機微な話でもあるため、質問をする中で決めつけるような言い方を避け、なるべく自分から話してくれるのを待った方が、長期にわたるよい関係を構築できるでしょう。

心をつなぐ英語 ④ 祝福の仕方

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

さくら新聞』(DCとヒューストンのコミュニティ・ペーパー)における連載の最新記事です。5月や6月は米国では卒業の季節です。夏にかけて結婚式を挙げる成人もいるかもしれません。そういった人たちに祝福の言葉を贈る中、「Congratulations」と切り出した後は、なんと言えばよいのか悩むところです。そこで第4回は、そういった祝福の場面で使える表現を取り上げます。

“Compassionate Phrases in English (#4): Congratulatory Words”

Here’s the latest article for my column in “Sakura Shimbun,” a Japanese community paper in DC and Houston. Most graduation ceremonies in the U.S. take place in May or June. We might also be invited to weddings over the summer. This month, I focus on expressions we can use when we attend these kinds of celebrations–including what to say after “Congratulations!”

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5月や6月は米国では卒業の季節です。夏にかけて結婚式を挙げる成人もいるかもしれません。そういった人たちに祝福の言葉を贈る中、「Congratulations」と切り出した後は、なんと言えばよいのか悩むところです。そこで今回は、そういった祝福の場面で使える表現を取り上げます。

卒業に関しては、その人の今後がどの程度分かっているかで言い方を変えることができます。これからどういう道に進むのか聞いていない場合は、 I wish you the best of luck in your future endeavors. といった表現がよく使われます。若干距離が感じられるかしこまった言い方なので、先に卒業していく先輩、職場を離れる同僚などに使えるかもしれません。親しい間柄で、具体的な進学先や引っ越し先など、今後その人が何をするのか教えてもらった場合には、 Good luck in grad school! や、 I’m definitely visiting you in Seattle! など、もう少し情報を入れて崩した言い方ができます。就職先などが決まらないまま卒業を迎える人も多いでしょう。そういう人たちは将来が見えなくて悩んでいるでしょうから、 I’m sure you’ll thrive in whatever path you choose. と励ますことができます。

祝福の言葉を贈る場面では、上記のように「good luck」が使われがちですが、それ以外の表現を模索した方が良い場合もあります。丁寧な言い回しにしても少しカジュアルに聞こえますので、転職していく上司など、目上の人には、 I wish you much success at your new workplace. などと言い換えた方が適切でしょう。また、「運だけで成功はしないし、努力が大切」という見方をする人もいますので、 I’m confident you’ll do wonderfully in Boston. などと言った方が幅広い人たちの心に響くでしょう。

結婚の場合、卒業に比べれば、祝福する相手が遠くに行ってしまう可能性は低いかもしれません。でも、二人のこれからの旅路を祝うという意味では、似た表現となります。外部の人はカップルの今後について詳しいことを言う立場にないため、たとえ親しい友人でも、 I wish you both much happiness ahead. やCongratulations to the beautiful couple! といった、少し漠然とした言い方になりがちです。ただ、これまで二人が幸せそうに付き合う姿を長らく見てきた場合は、 I’ve been waiting for this day for years! などと付け足せるでしょう。また、二人のどちらかが親戚である場合は、もう片方の人を Welcome to the family! と歓迎することができます。

卒業式、結婚式、壮行会などは忙しなく、同時に多くの人たちが祝福の言葉を言いますから、一人一人が口頭で言った内容を本人の記憶に留めてもらうことは難しいかもしれません。だからこそ、卒業アルバム、寄せ書き、ビデオメッセージなど、後から見返せる媒体では、特に心をこめて言葉を贈りたいものです。

心をつなぐ英語③ 「No」と言われた人への言葉のかけ方

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

さくら新聞』(DCとヒューストンのコミュニティ・ペーパー)における連載の最新記事です。4月は、米国で高校時代を過ごす人たちにとっていろいろと難しい時期です。3月に来た大学の合否の結果を消化したり、補欠合格の結果を待ったり、プロムに好きな人を誘ってみたり…。また、「No」と言われた場合、そういう年頃の人は特に痛みを感じがちです。そこで第3回は、何かを断られた、特に若い人にかけることのできる言葉を取り上げます。

“Compassionate Phrases in English (#3): Comforting Someone Who Was Told ‘No'”

Here’s the latest article for my column in “Sakura Shimbun,” a Japanese community paper in DC and Houston. April is a difficult month for some high schoolers in the U.S. (especially those who’ve just gotten or are waiting the results of their college applications, as well as those who are asking their crushes out to prom). This month, I am discussing ways to comfort younger people who were told “No,” being mindful of the fact that rejections may seem a lot more personal and hurtful for them than for adults.

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4月は日本では始まりの季節ですが、米国でも、特に高校生にとっていろいろと変化の多い時期です。12年生の生徒たちは、3月までに来た大学の合否の結果を消化したり、補欠合格の結果をやきもきして待ったりしているでしょう。また、4月末から学年度の終わりに向けて行われるプロムにおいては、友人や級友と行く人もいますが、勇気を出して好意を持つ相手を誘う人もいて、人間関係が変わったりもします。すべてうまくいけばいいですが、ただでさえ多感な10代の頃に「No」と言われると、成人以上に痛みを感じがちです。そこで今回は、何かを断られた、特に若い人にかけることのできる言葉を取り上げます。

恋愛でも大学でも、今起きていることでその後の人生が大きく左右されると思う人も多いでしょう。そういった人には、 This won’t affect the rest of your life. と言い、人生の先輩として自分の経験を語り、20代以降も数多くの機会や決断があって今につながることを示せます。 This is just a minor setback. という言葉で、一時的な後退であって挫折ではないことも伝えられます。

学校の場合は、その時不合格だったとしても、まずは別のところに入学し、あとから転学できる可能性があります。 The timing just didn’t work out. You can try again once you feel better prepared. と言えば、努力次第で状況を変えられる可能性を示し、もっと勉強しようという意欲を奮い立たせられるかもしれません。

特定の相手や学校しか好きになれない、と本人がその時思っていても、家族や親しい友人から見れば、憧れに基づく思い込みがあり、相性が合わないことが明らかだったりします。 There are so many other options. と言って、理想的な人について一緒に考えたり、 You might end up liking it once you’re there. と合格済みや結果待ちの他の大学の長所について話し合ったりすることができます。

その人自身が否定されているわけではない、という点も理解してもらうことが重要です。大学は大量の願書を捌いていますし、恋愛でも、表面的な部分だけ見て断ってしまう10代の子は多いでしょう。 It’s nothing personal. と声をかけ、They’re only judging you based on what they think they know about you. と説明することができます。本当にやめるべきと思われる相手や学校なら、 You wouldn’t want someone who doesn’t understand your qualities anyway. と終止符を打つことができます。

将来に対する不安でいっぱいな10代の人たちには、一時期的な悩みだと口で説明しても、なかなか理解してもらえないかもしれません。でも、慰めてもらった思い出や温かい言葉はきっと心に残ります。成人し、後から振り返った時に、その言葉の意味がじんわりと心に浸透するでしょう。こういう時に交わす言葉は、長期的な効果があるからこそ、一層大切なものなのかもしれません。

心をつなぐ英語② 迷っている時の回答の仕方

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さくら新聞』(DCとヒューストンのコミュニティ・ペーパー)における連載の最新記事です。第2回は、三寒四温の日々に絡めて、迷っている時にも失礼に当たらない形できちんと回答する(熱意があるのかないのかよく分からないような対応を避ける)方法を模索します。

“Compassionate Phrases in English (#2): Responding Politely Even When You’re Wavering”

Here’s the latest article for my column in “Sakura Shimbun,” a Japanese community paper in DC and Houston. This month, I touch upon the “Hot N Cold” (a la Katy Perry ♬) temperature in early spring–and then discuss ways to respond to someone politely even when you’re uncertain about your feelings or your schedule.

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3月上旬の春先は三寒四温で、気温が大きく上下し、気が抜けません。この季節になると、Katy Perryの「Hot N Cold」が思い起こされます。その歌は恋愛に関するものですが、熱意があるのか分からないような優柔不断な態度は、仕事や社交など他の人間関係においても失礼にあたります。そこで今回は、何か申し出や誘いを受けた時、迷っていたとしても相手に悪い印象を与えないような回答の仕方を取り上げます。

回答に迷うことを言われた場合、即答できないことに意識が行ってしまいがちですが、断る可能性があるのであればなおさら、まず感謝の意を表明することが重要でしょう。パーティーへのお誘いであれば、 Thank you so much for thinking of me. と言えますし、仕事関連のオファーであれば、 I very much appreciate being considered for this opportunity. などと言えます。

次に、回答を待ってほしいという言葉です。即答できない理由は様々ですが、内容に関して迷っているというよりも、日程の問題の場合もあります。既に仮押さえが入っている場合は、 I may have a potential conflict that day, but please let me check with others and respond to you soon. などと言えます。仮押さえが確定か否かの判明に時間がかかりそうな場合は、 I’ll let you know as soon as I hear back. と付け足し、できる限り急いでいることを示せます。

就職や転勤などの大きな決断や、何か心に引っ掛かることがある場合などは、回答にもっと時間がかかるかもしれません。いつまでに返事が必要か聞いてしまうと、あまり関心がないと思われる可能性があるため、 Would you please allow me to respond by the end of the week? などと自分から締め切りを提案する方がよいでしょう。転勤など、他者も巻き込む話の場合は、 I’d like to consult my family. などと補足できますし、迷っている場合は、 Because this is such an important decision, I’d like to think about it carefully. などと言う表現で理解を求めることができます。

日程調整をしたり決断を下したりした後、最終的な回答をする際は、 I’m sorry to have kept you waiting. Thank you very much for your patience. といった言葉を添えると良いでしょう。先方からの誘いを受けるために予定を動かした場合は、 I adjusted my schedule and am now available. と率直に伝えると熱意が伝わるでしょう。いろいろと迷った後、最終的に断ることになった場合は、真摯に This was a difficult decision for me. と言って理由を説明すると、次にまた声をかけてもらえるかもしれません。

迷うことは誰にでもありますが、回答を待ってもらうことでどうしても相手に迷惑がかかります。最終的にどんな決断となるにせよ、誠実な形で事情や心情を説明すれば、きっと分かってもらい、良好な関係を維持できるでしょう。

心をつなぐ英語① 復帰した人への言葉のかけ方

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コロナで休刊となっていた『さくら新聞』(DCとヒューストンのコミュニティ・ペーパー)が復刊し、今月から新しい連載を始めさせていただくことになりました。戦争や災害など、以前にも増して暗いニュースが蔓延している今だからこそ、「心をつなぐ英語」に着目し、異なる背景の人々ともつながることができるようなフレーズを模索します。第1回は、復刊に絡めて、復帰した人への言葉のかけ方を取り上げます。

“Compassionate Phrases in English (#1): Welcoming Someone Back After a Long Absence”

Sakura Shimbun,” a Japanese community paper in DC and Houston, is back this month after its COVID hiatus. With my new column, “Compassionate Phrases in English,” I focus on ways to connect with, reach out to, and support others–which is especially crucial when we struggle with wars, disasters, and other hardships. The first episode celebrates the return of “Sakura Shimbun” by exploring how to welcome someone back after a long absence.

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2019年8月から2020年3月にかけて、「英語de敬語」の連載をさせていただきました岡崎です。今回、さくら新聞が月刊紙として復刊し、連載の機会を再びいただけることになりました。

過去4年間で世の中が大きく変わりました。コロナがインフルエンザと同じくらい生活の一部となり、世界を巻き込む戦争が二つも勃発し、災害も増えています。そこで今回の新連載では、「心をつなぐ英語」として、敬語に限らず、人の心に寄り添う言葉に着目します。英語は世界共通語の一つで、異なる背景の人々をつなぐものです。辛い時には人を支え、楽しい時には喜びを分かち合う言葉を使えば、自分も心が軽くなるように思います。

まずは、今回の復刊に絡めて、復帰した人にかける言葉を取り上げます。やむを得ない事情でしばらく休んでいた人が職場などに戻ってきたとします。同僚に迷惑をかけたと罪悪感を感じたり、溜まった仕事を心配したりしている人も多いでしょう。そのため、最初に会った時に It’s good to have you back! と笑顔で歓迎すると、先方もほっとするでしょう。親しい人には We missed you! と言ってハグしたり、最初の挨拶の終わりに Let’s catch up over lunch. と言って後でゆっくり話を聞くこともできます。

こじらせてしまった風邪など、休んでいた理由が周知されている場合は、 I’m glad to see that you’ve recovered. と付け足すこともできます。松葉杖をついていたりと負傷していることが明らかな場合には、 Let me know if you need help with anything. と申し出ることもできます。家族の事情など、理由が周りには知らされず、親しい関係の自分にだけ教えてもらった場合は、二人きりになった時に I’m so sorry about your grandmother. などとそっと声をかけることができます。

職場復帰においては、仕事についてもやり取りがあるでしょう。代行してくれたからと謝罪や感謝の言葉をもらったら、 I didn’t do much at all. You also helped me when I was away. などと言って安心させることができます。溜まった仕事を処理し、いつもの作業に再び慣れるのに時間がかかっている場合は、相手が部下であれば、 Do you need more time to work on this?などと声をかけ、締め切りをずらす提案をすることができます。同僚であれば、 What can I do to help? と単刀直入に聞き、先方が遠慮しないように I don’t have any deadlines right now. などと説明して、手伝う余裕があることを明らかにできるでしょう。

復帰は本来喜ばしいものですが、その場を長く離れていた人は多くの不安を抱えていることも事実です。思いやりのある言動でそれを少しでも和らげ、大きな変化を経験して戻ってきた人に安心と安定感をもたらすことができます。

人形に見る理想像とありのままの姿

ーバービー人形等の多様性や魅力

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

米国社会を構成する様々な人を反映し、最近どんどん多様になっていくバービー人形。下記の投稿では、バービー、日本のリカちゃん、シルバニアファミリー、昔の人形(ひとがた)やお雛様などを取り上げ、人形の様々な役割(コミュニケーションツール、インスピレーションを提供するおもちゃ、自己投影をする相手など)について考えてみました。

“Dolls: Another Version of Ourselves”

This Japanese blog post celebrates the recent growth in diverse Barbie dolls (including body type, skin color, and gender), which better represent the U.S. demographic. I also discuss other dolls (Licca, a Japanese equivalent of Barbie; Sylvanian Family, a collection of animal figurines; and traditional Japanese hina dolls), exploring the many roles that dolls have, including as communication tools and sources of inspiration.

LGBTQのコミュニティを支援します、という言葉とともにバービーの公式インスタグラムに投稿された様々な人形。

近年の米国では、 小説映画やテレビ番組広告政治など、あらゆる分野においてrepresentation (実社会における多様な人々が各分野においてしっかりと反映されていること)が話題になっています。「白人だらけ」「男性ばかり」ーそういった批判を受けては進歩を遂げることの繰り返しです。

その一環として、子供が幼い時から触れる人形については、バービー人形が大きく進化しています。人種、体型、職業などが徐々に多様になり、その変化がメディアでも頻繁に取り上げられています。ありのままの社会をより忠実に表すべく、変化していると言えるでしょう。私たちがバービーや他の人形からどんなインスピレーションを受け、人形にどのように自己を投影し続けているのかを考えてみました。

バービー人形の変革

ハワイで子供時代を過ごした私は、学校や日々の生活でアジア系の人々に囲まれて育ちました。童謡のテープや童話の本など、両親が日本から取り寄せてくれたものもとても多かったのですが、何もしなくても、日本を含むアジアの文化に簡単に触れられる環境でした。他方、 ドラマ、映画、小説など、米国本土から来るエンターテインメントにおいては、圧倒的に白人が主人公で、ハワイにおける日々の生活とはかけ離れた社会を描いていました。バービー人形も、(実際には既に黒人のものも出ていたようですが)おもちゃ屋さんや友人の家で目に入るものは、背が高くて細い金髪碧眼の女性のみでした。

それから30年が経った今、バービー人形は驚くほど多様になっています。 多様性に関するバービーの特設ページによれば、現在35以上の肌の色と9つの体型のバリエーションがあるそうです。 職業やジェンダーなど、いろいろな形の多様性がありますが、古くから発達していた分野からごく最近変化のあった分野まで、時系列順に並べると、米国の社会における各時代の変化をとてもよく反映していることが分かります。

コロナ禍でマスクをしつつ、Black History Month(黒人歴史月間)の2月にデモに参加する人形たち(左から二人目は白斑のある人形)。称賛しているコメントが多い中、「こういった活動には白人のバービーやケンも参加しなくては意味がない」と言う指摘も。

多様性に強い関心がある私としては、こうした選択肢の広がりがとても嬉しいです。もちろん、こういった変化の裏には商業的な理由がありますし、「少し進歩があったとしても、バービーは所詮きれいという理由だけで称賛される、典型的な『女の子のためのおもちゃ』であり、女性にとって大きな飛躍とは思えない」「子供の頃丸かった私がふっくらしたバービー人形を人からプレゼントされたら、逆に絶望しただろう」(それぞれ筆者訳)といった批判もあります。また、先日別の投稿で、「人型の絵文字をどれほど作り続けてもきりがなく、作れば作るほど、そこに自分の姿を見い出せない人を失望させる」と書きましたが、人形についても似たようなことが言えるでしょう。 ただ、全体としては、よい方向に進んでいると思います。

人間ではないシルバニアファミリーの魅力

私は本来、そこまで人形に興味がなく、子供の頃も、人からいただいたジェム(当時放映されていたアニメの主人公で、ロック歌手兼レコード会社の社長)の人形を持っているだけでした。通常はおとなしい社長が時折派手な歌手に変身するということで、服も二セットあり、 今考えれば、アーティストとビジネスリーダーと言う二つの仕事を持つ女性はかなりかっこいいと思います。ただ、日本やハワイに縁のない白人だからか、興味のある職業でなかったからか、当時はそこまで感情移入できませんでした。

私は人間よりも動物に惹かれ、シルバニアファミリーがとても好きでした。小さな家具やお皿のセットを徐々に買ってもらって集めては、クマやウサギの一家で遊んでいました。シルバニアファミリーのウェブサイトは、「自己投影できる多彩なキャラクターたち」と遊ぶことが「人と関わるコミュニケーション力を豊かにする」としていますが、私はそれが適度な投影だと思います。つまり、 動物ですので、人間である自分と肌の色や体型等を比較して落ち込んだりする心配はありません( 私は、人型の絵文字よりもピトグラムの方が、人種等を超えて皆が共感できると考えていますが、それと同様です )。また、違う種類の動物が次々に登場し、共生しているシルバニアファミリーの世界は、多様性への意識も育むように思います。

ただ、今再考すると、さらなる進化の余地はある気がします。たとえば、主に日本の子供が対象であるだろうにもかかわらず、シルバニアファミリーの服装、家、街並み等は皆西洋のものなので、なんとなく欧米中心で、日本らしさがあまりないのが残念です。また、「ファミリー」というブランド名からして家族の大切さを示している半面、セットとして売られている各ファミリーにはお父さんとお母さんが一人ずついて、子供も親と同じ種類の動物であるようです。シングルペアレントの家族、お母さんが二人いる家族、動物の種類が混じった家族などはないため、実世界のいろいろな家族の形を反映したい場合には、複数のファミリーを買って組み合わせるしかなさそうです。

数年前にデパートでシルバニアファミリーの特別展に通りかかり、懐かしくて等身大(?)のショコラウサギファミリー一家とパシャリ。気付けば後ろには5歳くらいの女の子が順番を待っており、恥ずかしかったです💦 (2019年12月、新宿小田急デパートにて)

リカちゃんと解釈の強み

日本の人形で一番知られているのはリカちゃんでしょう。趣味がファッションやお菓子作りということで、どのリカちゃんもお洒落でおしとやかなイメージです(スポーツも趣味だそうですが、あまり行動が伴っていません)。バービーに比べるとバラエティが少なく、多様性と言う意味でそこまで進化がないようです。

他方、リカちゃんのイメージを覆す面白い試みをされている方がいます。ある20代の会社員の女性がずぼらなリカちゃんの写真や動画をインスタグラムに挙げており、それがとても話題になっています。NHKがインタビューしたところ、その女性は「自分がリカちゃんだったらどんなんだろう、自分を投影してみようと思った」そうです。また、「家の中くらいこんなんでもいいじゃんって自己肯定感を高めている」とも語っています。私も各投稿にとても共感し、毎度細かいインテリアに感嘆しています。人形そのものは変わっていないのに、服装や周囲のもので解釈を変えることにより、ありのままの世界を示しています。だらしないリカちゃんは、 多様なバービーよりもさらに親しみやすく、温かみのある人形に見えてくるから不思議です。

数ある「現実を生きるリカちゃん」の投稿の中でも、私が最も共感したものの一つ。

人形への投影

人形は、少なくとも日本では、元は自己を投影するものでした。病気等を避けるため、自分の災厄を人形(ひとがた)に託して川に流したのがお雛様の起源であるというのは有名な話です。神事においては、自分の代わりにお祓いを受けてもらうこともできます。コロナ禍を受け、鶴岡八幡宮などは、自分でお祓いができるように、紙の人形(ひとがた)と、それを納める箱を常時設置しています。

今、鶴岡八幡宮では茅の輪をくぐり、人形(ひとがた)を納めることができます。(2020年2月)

人形(ひとがた)は人形(にんぎょう)になりましたが、今でも私たちはそこに自分を投影しています。米国の非営利団体「A Doll Like Me」は、注文を受けて、多様な子供たちと同じ姿の人形を作っています。同団体のフェイスブックのページは、皮膚や四肢などが他人と異なる子供が人形を抱えて微笑む写真でいっぱいです。 人形の作者である女性は、「人形は、ストレスの多い状況に子供が対応するときに助けてくれますし、何より、子供に自信を与えます。そのためにも、人形は、彼らを愛してくれる子供たちに似せて作られるべきなのです(筆者訳)」と書いており、人形の料金を取らずに寄付金だけで経営を行っているようです。

同時に、人形の発達を受け、私たちはいつの間にか、人形の姿からインスピレーションを受けるようにもなりました。人が人形に投影していたのが、人形から人へも投影するのです。昔の人が病を託していたお雛様は、今では少女の成長を祝い、結婚や家庭を象徴するめでたい道具となっています。(素晴らしい伝統ですが、これまた、明確なジェンダーロールや結婚に対するプレッシャー等が今後問題になって、変わりゆく可能性はあると思います。)

ウエストが恐ろしく細かった昔のバービーは、少し強制的な理想像でした。今のロールモデルのバービー人形は、実在の大人に似せているので、ある意味ありのままの姿ですが、同時に、将来を夢見る子供にとっては理想像でもあります。 また、ずばらなリカちゃんを見ると、同じ人形でも、環境や服装をどう変えるかによって、ありのままと理想像の間を行ったり来たりできることが分かります。

いずれの場合も、人形はコミュニケーションツールだと言えるでしょう。人形の作者、人形を買って子供にあげる大人、社会の風潮などがすべて織り交ざって、人形をもらう人に対して、各々のメッセージを作っています。「こうなったらいいよね」、「こんな夢も君なら実現できるよ」、そして、「ありのままの君でいいんだよ」、と。

小さなシルバニアファミリーにも、さらに小さな人形(写真右下)が出てきます。ヒツジの子供がウサギの人形を持って育つとどうなるか、考え出すと興味深いです!

今の社会は、どんどん自分らしさを前面に出す風潮となっており、そのため、人形にも多様性が反映されていると言えます。全体として、日本の人形はバービーをはじめとする米国のものに遅れていますが、今後状況は変わっていくと期待しています。また、ずぼらなリカちゃん、車椅子に置かれたバービー、家族が混ざったシルバニアファミリーのように、出来合いのものを買ったとしても、そこから先の解釈は、私たち自身が変えることができます。

人形を見た時、私たちは、今の自分、もしくは将来なりたい自分を無意識に探してしまいます。常に共感したい気持ちでいっぱいで、自分との共通点を見つけた時には、思わず嬉しくなってしまいます。もし今後誰かに人形を買う機会があれば、その瞬間に気に入ってもらえるかだけでなく、どうすれば長期的に心が休まる空間を提供し、自信やインスピレーションのリソースとなってもらえるかも考えたいと思います。

Announcing “Shiori Communications”

Introduction:

This bilingual post is an announcement about my new company, “Shiori Communications, LLC.” I also look back to the past year, which, despite COVID-19, was an overall success thanks to the wonderful support of friends and mentors.

この投稿では、新しく設立した会社「Shiori Communications, LLC」をご紹介するとともに、コロナ禍においても、友人やメンターの温かい支援のおかげでお仕事をいただけた2020年を振り返ります。英語の本文の後に日本語が続きます。
Plum blossoms in Tokyo–blooming a little early, they seem like symbols of hope for the new year! 少し早く咲いている梅の花は、新しい年に向けた希望を示しているように見えます。

Happy New Year! While the first two weeks of the year have already been crazy and horrible due to the events at the U.S. Capitol, I am hopeful that 2021 will improve going forward. I hope I can play a small role in that by facilitating communications between American and Japanese citizens through my new company.

2020 in Review

A year ago, I was filled with trepidation and excitement. I had just quit my job at the U.S.-Japan Council, ready to try interpreting and translating full-time. I wasn’t sure if I could even cover my rent, but for years, I had wanted to try working on my own. I was determined to give myself at least a year, and see where that would take me.

That year happened to be 2020–one of the most unusual and challenging years for everyone around the world. For me, all interpreting jobs (which traditionally were mostly done in person) came to a screeching halt with COVID-19. For a few weeks, I questioned my decision to go independent as the very industry I was trying to commit to was shaken to the core. With borders closed, I was physically cut off from my parents and boyfriend in Japan, and for the first time in years, felt sad about living alone. Then my former boss passed away, affecting me more deeply than the pandemic because of its permanence. As I ruminated over the words of gratitude, respect, and farewell that I will no longer get to convey to her, the sense of loneliness worsened.

But thanks to the kind support of friends and mentors, things got better. Many friends encouraged me through this blog, emails, or social media. Many gave me translating, editing, or writing opportunities, connecting me to their colleagues and acquaintances, or sometimes even creating jobs. From there, I got to take on entirely new types of jobs in English/Japanese communications, including teaching interpretation, subtitling videos, summarizing conferences, and translating music albums. I was only able to survive because of the wonderful people around me, and am incredibly grateful for the support I have received.

Remote interpretation also became more common, and I had the opportunity to work on a wide range of projects, from a military conference with 20+ countries (and 11 languages!), to a symposium of businesses based in Kansai, to a series of meetings among 20+ Japanese and American universities on student exchange, to an international conference on trademarks. Learning how to navigate various virtual interpretation platforms and other rapid changes in the industry became much easier thanks to regular online meetings with other interpreters. The biggest lessons of COVID-19 for me were: the importance of personal relationships, the value of positivity, and the need to adapt quickly to the changing world.

Although I became very busy towards the latter half of the year and could not write as much, I was also encouraged by the positive response to some of my blog articles, including this one on Black Lives Matter. I look forward to prioritizing writing in the future, and hope to provide more information that’s insightful and interesting.

A New Beginning

As 2021 begins, I am happy to announce that I recently established a company called Shiori Communications, LLC. The reason behind registering an LLC is that I wanted to facilitate better relations with clients, build a web presence (a website is coming soon), and be better about posting updates. It is called “Communications” because I want my work to go beyond differences in language, and truly strengthen mutual understanding by digging deep into cultures, customs, history, and more. I believe that the past four years, culminating in the recent events at the Capitol, show that communications that combat biases and false information is more important than ever. While it’s a tall order, aside from continuing to focus on interpretation and translation, I also hope to write professionally in both languages, discussing current events when appropriate, to bring people closer together.

At first glance, it may seem like I simply tacked on my first name to my company. But I believe it’s an apt name because “Shiori” means “poemweaver” in Japanese–something I’ve always felt very proud of as an aspiring writer. After searching for a memorable and meaningful name for months, I realized that what my parents gave me might be a great way to show my intent to connect the U.S. and Japan through language. By linking various individuals (connecting dots horizontally and vertically), be it through interpreting, translating, or writing, I hope to ultimately weave an even stronger bond between my two home countries. More information to come soon!

With the certificate issued by Virginia, where my company is based.  バージニア州で会社を登録しました。

「Shiori Communications」について

明けましておめでとうございます!今年は、米国議会議事堂への乱入を含め、年始からひどい出来事が続いていますが、今後は状況が改善していくと信じています。日米の人々のコミュニケーションを円滑にすることを目指す会社を通じて、私も、よりよい社会の構築に微力ながら貢献したいと考えています。

2020年を振り返って

一年前、私は将来に対する不安と期待が入り混じった気持ちで新年を迎えました。米日カウンシルの仕事を辞め、通訳・翻訳の仕事をフルタイムでやってみたいと思っていました。家賃を超える収入が得られるかどうかも分かりませんでしたが、何年も前から独立することを夢見ていたため、まずは一年、一人でやってみようと考えたのです。

その一年というのがたまたま2020年でした。これが世界中の人々にとってどれほど大変な年だったかは言うまでもありません。コロナにより、これまでほとんど対面でしかなかった通訳の仕事が急に途絶え、私は、このタイミングで独立を決意し、根底から揺らいでいる通訳業界に入ろうとしていることが正しい判断だったのか疑問に感じたりもしました。国境が閉ざされ、日本にいる両親や彼と会えなくなって、一人暮らしであることに何年かぶりに寂しさを感じました。さらに、前の上司が亡くなり、その永久の別れがパンデミック以上の衝撃となりました。もう伝えられない感謝の言葉や尊敬の念、これまでの思い出や彼女から学んだことが次々に頭に浮かび、孤独感はさらに強くなりました。

でも、友人やメンターの温かい支援のおかげで、状況は改善しました。このブログやメール、SNSを通じて、多くの友人が私を励ましてくれました。翻訳や編集、執筆の機会を与えてくれたり、同僚や知人を紹介してくれたり、時には仕事を一から作ってくれたりもしました。そこから私も、英語と日本語のコミュニケーションの分野でこれまでとは異なるタイプの仕事もいただけるようになりました。通訳を教えたり、ビデオに字幕をつけたり、会議の要約をしたり、音楽のアルバムの翻訳をしたり、といったことです。

遠隔通訳も一般的になり、20カ国以上(言語は11カ国語!)が参加する軍事会議、関西を拠点とする企業のシンポジウム、日米20以上の大学間の学生交流会、商標の国際会議など、様々な場で通訳を行う機会に恵まれました。通訳の先輩らとの定期的なZoomミーティングのおかげで、いろいろな通訳プラットフォームの使い方や業界の変化について学ぶこともできました。コロナ禍で学んだ最大の教訓は、人間関係の大切さ、物事をポジティブに受け止めることの重要性、変化する世界に素早く適応する必要性です。

今年の後半は忙しくてあまり文章が書けませんでしたが、Black Lives Matterに関するものをはじめ、ブログ記事に対する反響を得られたことにも励まされました。今後は執筆により力を入れて、興味深い情報や洞察をもっと書きたいと思います。

An Etsy commercial featuring a girl named Shiori. This aired on CNN during the presidential elections, and I find it all the more meaningful that people saw the value of diversity during such a difficult time. 珍しい名前を持つ人へのギフトも特注できますよ!と言う宣伝に、Etsyが「しおり」の名前を使ってくれました。CNNで大統領選挙の時期に流れたそうです。どのシーンにも深く共感しますし、日本人・日系人の名前が選ばれたこともすごく嬉しい!

新たな始まり

2021年が始まるにあたり、この度、Shiori Communications, LLCという会社を設立したことをご報告します。LLCを設立した理由は、クライアントとの関係をより円滑にし、インターネットを通じてより多くの人に活動を知ってもらい(近日中にウェブサイトを開設します)、もっと頻繁に近況について書きたいと思ったからです。「コミュニケーション」という言葉を選んだのは、言葉の違いを超えて、文化や慣習、歴史的背景なども踏まえた上で、相互理解を深めていきたいと考えているからです。議事堂乱入でついにピークに達した過去4年間の状況は、偏見や誤った情報をなくすコミュニケーションがかつてないほど重要であることを示していると思います。なかなか難しいことかもしれませんが、通訳や翻訳を引き続き重視しつつも、両言語で執筆も行い、場合によっては時事問題も取り上げつつ、さらに人々の距離を縮めたいと考えています。

一見、自分の下の名前を付けただけの安易な会社名だと思われるかもしれません。でも、「詩を織る人」という名前は、書くことが好きな私の誇りであり、この会社にもふさわしいと思います。活動内容に関連する覚えやすい名前を探して何ヶ月も悩んでいましたが、言葉を通じて日米を繋げたいという私の思いを示すには、結局、両親がくれた名前が最良かもしれないという結論にたどり着きました。通訳、翻訳、執筆などを通じて、様々な人と人をつなぐ(縦横に点をつなぐ)ことで、両国の絆がさらに深まっていくことを願っています。また追って詳細を報告します。

Visualizing data without misleading or stereotyping

Introduction:

In the wake of the presidential elections that revealed a nation that remains highly divided, this bilingual post explores how we might visualize data in a way that doesn’t mislead audiences or stereotype different types of people.

今月初めに行われた大統領選挙では、米国でまだまだ分断が続いていることが明らかになりました。この投稿は、誤解を招かず、ステレオタイプを強化しない形でいかにデータを可視化できるかについて模索しています。英語の本文の後に日本語が続きます。

Earlier this month, we witnessed one of the most dramatic presidential elections in history. These past four years, the U.S. had been unrecognizable to me. As a woman, quasi-immigrant, and minority, I felt that I was unwelcome on all three counts. I was in a state of disbelief as racist remarks and actions were normalized, and many laws that I had been proud to associate with the U.S. were rolled back one by one.

It is a huge relief to have a national leader who seems rational, calm, and mindful of the growing diversity of the U.S. demographic. I am ecstatic that we now have the first woman vice president–who also happens to be Black, Asian, and the daughter of an immigrant. That fact alone allays my concerns about criticism over the president-elect’s treatment of women.

A Divided Country

But as we all know, this was no swift victory. The “blue wave” touted by pundits never came. Instead, we had a handful of swing states that flipped, one by one, from slightly red to barely blue over the course of four days. I kept taking screenshots of the close race (at one point a difference of 1,000 votes, or less than 0.1%!) and sending it to friends. I pored over the news analyzing the developments in each state, from which counties’ votes were being counted first, to why Nevada seemed to take its sweet time, to legendary figures like Stacey Abrams and the late John McCain affecting the outcome in Georgia and Arizona.

The state of the swing states as of the morning of Nov. 6. With 99% of votes reported, Georgia had a difference of 1,000 votes, or less than 0.1%. Screenshot from Google based on results compiled by the Associated Press.

Maps

With all the election results readily available online, it has been really fascinating to be able to zoom into any state and look at the results in each county. Maps like this one (for Virginia) show islands of blue cities in a sea of red.

Election results by county in Virginia. Screenshot from Google based on results compiled by the AP.

But this year, the way maps show election data seemed to undergo an important and fascinating shift. With the slogan “Land doesn’t vote; people do,” several maps came out to show votes in proportional circles based on how people voted in each county, as opposed to coloring in the entire area of each county. Since fewer people live in rural areas, this was a much more accurate representation. Based on how much recognition these newer maps received, I suspect future elections will be represented in this way.

Either way, the fact remains that we are a deeply divided country, mostly reflecting whether we live in urban or rural areas. So how do we heal as a nation? One way, I think, is to avoid stereotyping others as much as we can.

Visualizations that Reinforce Stereotypes

The below illustration is called “What it means to be a typical Democrat or Republican, based on everyday items.” A translation of the words that appear throughout the illustration are in the chart below (all translations are my own).

From this website of The Asahi Shimbun. I added the numbers in purple for the translations provided below.
DemocratsRepublicans
Prius; VolvoCarsHummer; Porsche
MSNBCTV stationsFOX
Comedy; RomanceMoviesWar; Action
Jazz; RapMusicCountry
Tennis; SoccerSportsRodeo; Motor Races
Women: Silky smooth; Men: Long with beardsHairstyleWomen: Voluminous; Men: Short and neat
CasualAttireBusiness Suits
Sushi; VegetarianFoodFried Chicken; BBQ
StarbucksBeveragesCoors Beer

This was apparently first published in The Asahi Shimbun about 10 years ago. It came up on its website this past March (with the explanation that “trends have not changed that much since then”) as part of an article that helps young job applicants / recent college graduates understand current events.

When I first saw this, I couldn’t help but laugh. It’s wonderful that Japanese audiences are paying close attention to the U.S. elections. I think visuals are very important, especially to a younger audience. But I also think we need to be careful not to generalize too much–precisely because we are shaping young minds.

To start with the basics, the data comes from mixed sources. This illustration is apparently based on “data from advertising and research firms, as well as the voices of American voters.” That’s at least three sources that probably use different methodologies, samples, dates, and collection methods. While I don’t expect the entire methodology to be part of the picture, I’d at least like to know the names of the companies that collected this data.

The illustration is full of points I want to ask more about. For example (and I am also making big generalizations here), the “Republican” category seems to combine several types of people: the military type (short, neat hair), the wealthy type (Porsches), people living in rural areas (fried chicken; country music), etc. More minor examples show weird combinations too, like Starbucks (likely coffee) with sushi for Democrats. It is very confusing because all these mixed data is illustrated in the same picture.

And while the variety in music tastes and hairstyle is certainly interesting, I don’t see how it makes a big difference. The only thing I thought was truly relevant here is the type of media consumed (FOX vs. MSNBC), which other sources also indicate. I would rather know about the difference in opinion on topics like education, immigration, and religion. And, at least in terms of food, there’s evidence that we can’t associate them with political thought: The New York Times recently published a quiz asking readers to look at photos of fridge contents and guess whether they belong to a Trump supporter or Biden supporter. As of today, readers have made 25 million (!) guesses, and were correct 52% of the time–it’s 50/50, even with that huge sample.

Caricatures

To me, the most egregious point that could be corrected is that all four people depicted here are white. According to data compiled by the Pew Research Center, as of 2019, 40% of registered Democrats were non-white (even back in 2010, when this illustration was made, it probably would have been more than 36% (2008)). The Democratic party clearly states that “diversity is a strength,” and its support for immigrants and minorities is clear. So it seems especially odd to represent 100% of the Democrats here as white people.

But I also see how it’s extremely hard to visualize people “correctly.” Take, for example, the controversial NHK video that attempted to explain the BLM movement in June. If Black people or other minorities were added to the Asahi Shimbun visualization of Democrats and Republicans, would it have made things better? I doubt it, because it’s hard to illustrate someone without resorting to caricatures, especially if you do not know them well.

A screenshot (from here) of the controversial NHK video that illustrated Black people who wore tank tops and Afros, lighting the city on fire, and saying that they were resorting to violence because they were angry about the income gap (with no mention of police brutality)

And the truth of the matter is that there’s an inherent difference in illustrating someone who is already in the majority versus someone who is not. The former has already been drawn in many different ways, and one additional illustration is just that–a collection to add to many different images that readers may have in their head. It won’t skew the audience’s minds in either direction. Someone who is rarely drawn, on the other hand, automatically becomes a representative of their entire group because they are rarely seen. It’s similar to how movie characters used to be caricatures. The token Asian characters in older films were stereotypes (Mr. Yunioshi in Breakfast at Tiffany’s or Long Duk Dong in Sixteen Candles), whereas now we are seeing diverse backgrounds and personalities (from Crazy Rich Asians to The Farewell) because there are more films and more characters.

Visualizing Content in Better Ways

A lot of the data in the Asahi Shimbun illustration is interesting, even if not necessarily relevant. I think this could be improved by 1) listing its sources by name, 2) not showing people in the illustrations, and 3) instead of showing the top one or two in the same big picture, perhaps choosing the top five in each category and turning them into separate charts. Illustrations are so powerful, helping us understand and remember things better–but without the full context, they can also be misleading.

Media have to work with quick deadlines, and it’s easy for me to be an armchair critic. But as people pointed out with the BLM video, I believe there are ways to find consultants. On a deeper level, I believe we all need to have a better understanding of each other, so that we don’t stereotype others, and know when we are about to create caricatures.

These take long conversations, better education, more reading, stronger media representation, and so much more. But to circle back to the original discussion, at least we know that we are politically divided. At least we are beginning to learn, in the past six months, how much pain Black people have been experiencing. I hope that we can strive to understand each other. After this election, the only direction to go is onwards and upwards.

ステレオタイプを強化しない形で情報を可視化するには

今回の大統領選挙では、大好きな米国がようやく少し戻ってきた気がします。2016年の選挙以降、移民、日系人、そして女性として、ずっと緊張や不安を抱えてきました。国のリーダーがアジア人に差別的な言葉を使ったり、移民に対する大統領命令を発したり、女性蔑視の発言をするたび、心身ともに疲弊し、いつも少し怯えながら過ごす日々でした。今回、バイデンが大統領となって心から安堵しましたし、初の女性・黒人・アジア系の副大統領が誕生したことを、本当に誇りに思います。

ただ、選挙の結果を見て、国の分断がまだこんなにもひどいことに驚いたのも事実です。スイングステート(激戦州)では、最終的に民主党が勝ったところが多いものの、一時期は数千票、0.1%以下の僅差だったりもして、結果が分かるまでの数日間は本当にやきもきしました。地図を見ても、驚くくらい、都市部と田舎とで政党が真っ二つに分かれています。これからこの分断をどう乗り越えていくかが大きな課題となります。

ステレオタイプを強化する恐れのあるイラスト

そんな時にたまたま、上記の「身近な品々に見る『民主らしさ』『共和っぽさ』」というイラストを友人が送ってくれました。もとは10年前に朝日新聞に掲載されたのが、最近になって「今でも傾向は変わらない」と言う解説とともに浮上したようです。

これを最初に見た時、ツッコミどころが多くて笑ってしまいました。興味深い視点ですし、分かりやすく可視化している姿勢が素晴らしいと思います。でも、可視化するからこその危険性も多分にあると思います。

まず、情報源は「広告会社と調査会社のデータおよび米有権者の声」とありますが、そうすると、少なくとも3つの情報源から得たデータとなり、それぞれ異なるサンプル、日程、調査方法であると想定されます。それをすべて一つの絵にまとめていること自体少し不思議だと思いますが、そうであれば、少なくとも広告会社や調査会社の名前を掲載した方がよいかと思います。

細かい点を見ますと、たとえば「共和党支持層」は、いろいろなタイプの人たちが混じっているように見えます。それこそステレオタイプに基づいて例を挙げると、軍人(「整えた短髪」)、富裕層(「ポルシェ」)、田舎に住む人(「フライドチキン」「カントリー」)がすべて一緒になっています。民主党の方でも、スターバックス(のおそらくコーヒー)を寿司と飲む、という不思議な構図になっています。これも、いろいろな情報源から集めたデータが同じ絵にあるから違和感があるのかと思います。

共和党・民主党支持者が視聴するメディア(「TV局」)はとても重要であり、FOXとMSNBCが両極端にあることは他でも立証されていますが、映画や音楽など、それ以外の点に関しては、それほど重要だとも思えません。むしろ、教育や移民政策、宗教等に関する考えを取り上げた方が興味深い気がします。さらには、少なくとも食べものに関しては、政党との関連性が低いことが分かっています。最近ニューヨーク・タイムズ紙は、冷蔵庫の中身の写真を見て、トランプ支持者かバイデン支持者のものかを読者が当ててみるというクイズを発行しました。現時点で読者は2500万回(!)推測してきましたが、正解率は52%。それだけ巨大なサンプルでも、まだ五分五分なのです。

人物のステレオタイプ

私が最も残念だと思うのは、この絵に描かれている人が4人とも白人だということです。2019年の時点で、登録している民主党支持者のうち、40%が非白人でした(このイラストが描かれた2010年でも、36%(2008年)以上だったと思われます)。また、民主党は「多様性は強みである」と明言しており、移民やマイノリティを支持していることも明らかです。したがって、民主党支持者の100%が白人として描かれているのは残念なことだと思います。

同時に、「正しい」形で人を可視化するのは大変難しいことです。6月にBLM運動を動画にし、物議を醸したNHKのビデオがよい例だと思います。黒人や他のマイノリティをこの朝日新聞の民主党・共和党のイラストに入れたところで、状況は改善しなかったかもしれません。あまりなじみがない人たちを可視化しようとすると、ステレオタイプに基づいた滑稽な絵になってしまいがちです。

多数派の人とそうでない人を描くことには、本質的な違いがあります。前者は既にいろいろな場で、様々な形で描かれており、一枚の新しいイラストは、読者の頭にあるイメージのコレクションに足されるだけであり、これまでの印象を大きく変えるわけではありません。一方、めったに描かれない人は、その人が所属するグループ全員を代表するような形になってしまいます。これは、映画の登場人物にも言えることだと思います。古いアメリカ映画のアジア系の登場人物は、ひどいステレオタイプに基づいていましたが(『ティファニーで朝食を』のユニオシ氏、『すてきな片思いの』ロンなど)、最近はアジアを中心とした映画や登場人物が増えてきているおかげで、多様な背景や個性が描かれています(『クレイジー・リッチ』や『フェアウェル』など)。

より良い形での可視化

朝日新聞のイラストには、興味深いデータが満載です。もし改善するとしたら、1)情報源の会社名を明記し、2)人物は描かず、3)上位1~2位だけを同じ絵の一部として描くのではなく、たとえば各カテゴリーのトップ5などを別々の表にして出す、といったことができると思います。イラストは、物事を理解し記憶する上で素晴らしいツールとなりますが、全体像が見えないと、誤解を招くことにもなりかねないと思います。

メディアは締め切りに向けて急いで作業を行わなければなりませんし、私がこうして後から批判するのは簡単なことです。でも、BLMのビデオに関して他の人も指摘したように、コンサルタントなど、何かしら事情に詳しい人に話を聞いて確かめることはできたのではないかと思います。より長期的な話で言えば、こういったステレオタイプを行わないように、私たちそれぞれがお互いへの理解を深める努力をすべきなのかと思います。

そのためには、対話を続け、教育を改善し、より多くの本を読み、映画・テレビ・本等における登場人物をより多様にしたりと、様々な課題があります。しかし、私たちは少なくとも、政治的な分断が続いているという事実、黒人の人たちが今も苦しんでいるという事実などを学びました。今回の選挙を受け、私たち皆で一緒に前に進み、相互理解を深めていけることを願っています。

Awkwardな私と多くのワード(訳語)

カエサルの言葉「来た、見た、勝った」をもじって、I came, I saw, I made it awkward(来た、見た、微妙な雰囲気にした)と記載されたマグカップ。

最近出版されたばかりのオバマ元大統領の回顧録『A Promised Land』で、オバマ氏が鳩山元首相のことをawkwardと呼んでいることに関し、日本で様々な報道が出ているようです。Awkwardという言葉の訳がメディアによって異なるため、どれが正しい訳なのかということと、オバマ氏の評価が好意的か否かといったことも報じられています。訳しにくい言葉にまつわる興味深い話な上、awkwardという言葉には個人的な思い入れもあることから、自分の経験も交えて、考えをまとめたいと思います。

鳩山氏に対する評価の訳

オバマ氏の回顧録における文面について、既に多くの方が素晴らしいまとめをされています。私自身はこの本を読んでいないため、文脈について大きなことは言えませんが、現在報じられている内容に基づいて解釈してみたいと思います。

鳩山氏に関する記述は、a pleasant if awkward fellowとあります。A pleasant but awkward fellowではないにもかかわらず、多くのメディアで、if をbut と同じように扱って、「感じはよいが」と始めてからawkwardの訳(後述)を入れています。If とbut が違うと、かなり意味が異なります。既に翻訳者の鴻巣友季子さんが指摘されているように、ifを使ったこの文面は、「ポジティブな表現に着地」しているのです。

ここはカンマが省略されており、本来は、a pleasant, if awkward, fellowと言う文面になると私は考えています。この場合、カンマが両側にあると、括弧と同じ役割を果たし、a pleasant (if awkward) fellowと同じ意味になります。ダッシュを両側に置いて a pleasant–if awkward–fellowとも書くことができます。重要なのは、カンマ、括弧、ダッシュのどれであれ、if awkwardという中身を抜いても、文章がそのまま成り立つということです。つまり、中身の部分は補助的な役割を果たしているのであり、重視されるべきなのはpleasantというところなのです。

おそらく、ここでこの文が終わっていたなら(たとえば、He’s a pleasant, if awkward, fellow. など)、オバマ氏はちゃんと両側のカンマ(または括弧やダッシュ)を入れたであろうと思います。ただ、その後もA pleasant if awkward fellow, Hatoyama was . . . と続き、カンマを何度も入れると読みづらくなるため、省略したのだと思います。

Awkwardな人とは

Awkwardは、英語でかなり頻繁に使われる割には、とても訳しにくい言葉です。本件に関しても、「厄介」(時事通信)、「ぎこちない」(TBS)、「やりにくい」(日テレ)、「付き合いにくい」(共同通信)、「不器用」(朝日新聞鳩山氏自身)など様々な訳がなされています。

Awkwardな人はどういう人かと聞かれたら、私は「人付き合いが苦手な人」だと説明すると思います。一言に訳すと、一番近いのは上記の「不器用」だと思います。「ぎこちない」も近いと思いますが、それは身体の動きや話し方を連想させる一方で、たとえば、なかなか目を合わせてくれない人もawkwardに含まれるため、少し狭義になっているかもしれません。「やりにくい」「付き合いにくい」は、ニュアンスとして正しいのですが、オバマ氏は(実際には個人的な意見にせよ)客観的な言葉としてawkwardを使っているため、ちょっと踏み込み過ぎかもしれません。

一つ明確に言えるのは、「厄介」ではない、ということです。Awkwardな人は無害ですし、迷惑をかけるタイプではありません。他人がそういう評価を下すと、若干上から目線であるだけでなく、「もう少しうまく立ち回れたら楽に生きられるだろうに...」といった、少し憐みの感情が入っています。「惜しい」「残念」といった感じで、全体としては好ましく思っているからこそ出る言葉です。A pleasant if awkward fellowは、「感じのよい人(ちょっと不器用だけどね)」といったニュアンスになると思います。

最初にこの話を聞いた時、言葉を大切にするオバマ氏がなぜわざわざawkwardと言ったのか疑問に思いました。全体として悪くない印象なら、なぜあえてそれを傷つける言葉を足したのか、と。しかし、こちらの記事を見て、オバマ氏が各国首脳をかなり批判していると知り、納得がいきました。回顧録の面白みは、当時考えたことや経験したことを率直に書くことであり、歯に衣着せぬ表現を使って当然なのですよね。

他の首脳に比べると、鳩山氏に対するオバマ氏の評価はソフトなようです。同時に、鳩山氏は相対的に強い印象を残していないとも言えます。たとえば、オバマ氏の各国首脳への評価をまとめたBBCの記事には、日本の首相は登場しません。オバマ氏は、回顧録で、鳩山氏が「3年未満で4人目」の首相であり、「7か月でいなくなった」ことに言及しています。日本のリーダーが誰であれ、存在感は薄かったのでしょう。この数年後、安倍元首相はトランプ大統領と強固な関係を築こうと並々ならぬ努力を重ねましたが、こうした首脳同士の人間関係は、やはり二国間の政治にもかなり影響するのかと思います。

Awkwardという言葉との共存

Awkwardという言葉は、人だけでなく、雰囲気や感情にも使うことができます。たとえば、今付き合っている人と歩いている時に、前の恋人とばったり会って挨拶を交わした場合。後で友人にThat was so awkward! (とっても気まずかった!)とこぼしたりもできるでしょう。または、大企業で新入社員として働き始めて間もない時に、過去にはテレビでしか見ていなかった社長が時折やってきて話しかけてきたら、毎度緊張してしどろもどろになってしまうかもしれません。そういう時も、We’ve spoken three times, but I still feel awkward. (もう三回も話しているけれど、未だに気後れしてしまう)といった言い方ができます。

つまり、誰でもawkwardに感じることはあります。ただ、そういった瞬間が比較的多いのがawkwardな人なのかと思います。オバマ回顧録にまつわる本件が特に私の心に響いたのは、私もawkwardだからです。自分の例に基づいて、この言葉の意味をもう少し考えたいと思います。

私は子供の頃から、一人で家で本を読んだり勉強したりするのが好きでした。相手の言動が予想できないことから、人付き合いには強い苦手意識を感じていました。学校でも、チームワークが必要な理科の実験や皆でやる体育が本当に不得意で、「協調性がない」と先生に言われていました。

大人になった今でも、awkwardな(気まずい)雰囲気を作ってしまうことがよくあります。人数が多い会話では特に、うまく口を挟むタイミングがつかめないこともあり、頭の中で長らく考えをまとめています。ようやくまとまって勇気が出せて、かつちょっとした沈黙が訪れた時に発言するのですが、考えに集中するあまり直前の話を聞いておらず、「とっくに皆が落とした会話のボールを今拾うんですね」と笑われたり、向こうからしたら脈絡がないので「突然どうしたの」と聞かれることもあります。

社交の場で緊張しがちだったり、手先も含めて不器用だったり、といったこともあります。私が住むワシントンDCはネットワーキングが欠かせない町です。人脈を広げるため、誰も知る人がいない立食パーティーに一人で参加することも多いです。緊張で深呼吸をしながら入場しますが、やはり知らない人とのスモールトーク(世間話)は本当にしんどく、「3人に話しかける」という自己ノルマを達成した後は、アペタイザーだけもらって帰ります。そして家に帰って鏡を見てはたと気づくのですが、いつの間にか名札のシールがはがれて髪にくっついていたり、食べ物を服にこぼしていたり。ネットワーキングが苦手な自分をただでさえ反省しているところ、どうも他の人には起きないことが自分には起きるように思え、恥ずかしさでいっぱいになります。Awkwardの極みです。

でも、場数を踏んで、徐々に人付き合いのコツがつかめてきましたし、こういった話を友人にすると、実は似た悩みを抱えている人が多いのだということに気付きました。わざわざ明かさなくてもばれてしまうらしく、以前、会って間もない職場の同僚に Don’t worry, I’m awkward too!と朗らかに言われて大笑いしたのを覚えています。

また、awkwardだからこその強みもあると思います。大人数で口頭で議論することは苦手な反面、じっくり考えて文章を練ることがとても好きです。感受性や想像力が強く、自然の彩やアートを楽しめます。威風堂々とした雰囲気はないかもしれませんが、人間らしく親しみやすいと感じてもらえることが多いように思います。

人と接することが仕事の大きな一部である政治家がawkwardと呼ばれるのは、確かに少し残念なことかもしれません。でも、awkwardであること自体は、本人はとても苦しくても、周りから見れば個性であり、決して悪いことではありません。

スピード重視のメディアの世界で、背景等をすべて踏まえた訳を行うことは非常に困難です。私がこうして後からゆっくり批評するのは簡単だということも認識しています。でも、awkwardは、私がずっともがきながら共存してきた言葉です。人付き合いは徐々にうまくなってきたとはいえ、ちょっとしたズレやタイミングの悪さは、もはや自分の個性の一部として受け入れつつあります。今回筆を執ったのは、そんな大切な言葉について書きたかったからです。

National Donut Day (全米ドーナツの日)に、無料のドーナツをもらえるということで、友人とKrispy Kremeで列に並びました。ショーケースに日本のポンデリングのようなものを見かけてそれを注文したら、単にドーナツの穴が並んでそう見えただけでした。店員さんが袋に入れるところを見て訂正したかったものの、後ろには長蛇の列で、店員さんも忙しそうなので何も言えませんでした。せっかく無料でも、普通のドーナツの6分の1くらいの大きさの穴しかもらえなかった私。こういったawkwardな間違いも、一緒に笑ってくれる友人がいれば恥ずかしくありません!?

通訳・翻訳は試してこそ適性が分かる

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

この投稿は、バベル翻訳専門職大学院によるウェブマガジン『The Professional Translator』に寄稿させていただいたものです。

今回は「翻訳と通訳の向き不向きや適性」というテーマをいただきました。通訳は本番に強い人が向いており、翻訳はもう少し時間をかけて作業をしたい人が向いている、という点はよく知られています。でも、さらに細かく見ていくと、通訳も翻訳も、分野(外交、法律、文化など)によって仕事の仕方が大きく異なるため、適性もそれぞれなのではないかと思っています。通訳・翻訳に関心のある方は、いろいろと経験してみることをお勧めします。

“Exploring Various Fields in Interpretation and Translation, and Knowing What Makes You Happiest”

Below is an article I wrote for The Professional Translator, the web magazine of a translation graduate school called Babel. The assigned theme was about aptitudes needed for interpretation and translation.

There are well-known, general characteristics: those who like in-person exchanges and travel might be happier as interpreters, while those who like to spend time choosing the perfect words are likely better as translators. But there are also vast differences depending on the field. These include conference interpretation, court interpretation, interpreting on stage at an event, subtitling, and technical translations. I didn’t realize how different these were until I had the opportunity to explore them. In addition, with my love for reading and writing, I initially thought I would be happier as a translator–but ended up being more of an interpreter, mostly because I’ve enjoyed traveling and meeting experts from various fields. To anyone who is considering a profession in interpretation or translation, I recommend taking on a variety of jobs–only then will you learn what truly makes you happy.

通訳と翻訳という二つの職業への適性は、ある程度、人によって異なると思います。しかし、苦手だと思っていたことが案外楽しいこともあるため、自分がどちらに向いているかという判断を行うには、いろいろな経験を積むことが重要だと思います。また、通訳も翻訳もかなり幅が広く、法律や文化など、分野によって求められるスキルが大きく異なるという点も留意しなければなりません。

今の私が通訳者であることを子供の頃の私が知れば、きっと驚くと思います。家で本を読んでばかりだった私は、むしろ、世界中の子供たちに素敵な夢を届ける童話の翻訳者という仕事に憧れていました。通訳に関しては、国連などで大勢があらゆる言語で早口に話すかっこいいイメージがあり、自分にはあまり縁がないと思っていました。でも、ワシントンDCに来てから通訳に触れ、考えが変わりました。世界をより良い場所にしようと志す人たちが各地から集まるこの町で通訳を行うと、微力ながら国際協力に貢献できることに、非常にやりがいを感じます。最初は少し苦手だった人との交流も、今では逆に楽しめるようになりました。職業への適性というのは、やってみなければ分からないのだと実感しています。

通訳者には、人と接することが好き、本番に強い、などといった全般的な特徴がありますが、分野によっても、求められるスキルが異なると思います。たとえば、招聘プログラムの通訳として、日本からの訪問者数名と数週間全米各地をまわる仕事では、自分もよく知らない場所で初めて会う方々を案内し、アポの時間などの詳細にも気を配らなければなりません。幸い、これまで私は温かい参加者にばかり恵まれており、GPSのおかげで迷ったりする問題も起きていません。サクラメントの発電所、移民を支援するマイアミのNPO、アーカンソーの林野庁など、自分では行く機会のない所を一緒に訪ねながら、あらゆる事柄について学び、楽しい経験をしています。

会議通訳としては、ブースで同時通訳を行うことが多いです。一日会議室にこもっているたため、招聘プログラムに比べると、心身ともに人と距離があり、少し事務的です。しかし、緊張した雰囲気の場合が多いですし、聞き取れない言葉があっても話を止められない分、通訳としてのスリルは倍増します。失敗を気にすると、次の話を聞き逃してしまい、さらに間違いが増えます。そういった意味で、ある程度、分からないことや失敗に固執しない楽観主義と、ハプニングがあっても聞き手に支障がないように訳し続ける機転が求められます。

イベントの逐次通訳もまた特殊です。美術や芸術に関する講演では、アーティストの隣で舞台に立つこともあります。普段は黒子の通訳者がここでは注目され、通訳もパフォーマンスの一環となります。話者はもちろんのこと、観客とも目を合わせて、話者が意図したタイミングで観客が感動し、驚き、笑ってくれるよう、分かりやすい表現や言葉を発するテンポに気を配ります。人に楽しんでもらいたいという意思が重要な仕事だと思います。

私自身はまだ経験していませんが、法廷通訳などでは、何よりも正確性が重要になると理解しています。大変なプレッシャーのもとで証人の逐次通訳を行い、聞き取れない言葉や意味が不明瞭な言葉に関しては聞き返すことができるものの、まず判事の許可を取らなければならない、と聞いています。何事にも動じない、慎重な方が向いているかと思います。

翻訳もまた、分野によって適性や好みが分かれると思います。軍事や医療など、専門的な内容の翻訳では、決まった用語や表現に徹しますし、日米関係や社会に貢献しているというやりがいを感じます。字幕翻訳では、一秒間に読める字数が限られていることから、要点を押さえつつ簡潔に内容を伝えるクリエイティビティが求められます。最近、音楽家のアルバムの曲名を訳す機会に恵まれましたが、ぎゅっと意味が凝縮された曲名は詩のようで、ご本人に話を聞く以外にも、曲を聴いて理解するという、普段とは違う感性を使うことができました。どの分野の翻訳にも一貫して言えることは、通訳同様、話し手や書き手の立場やメッセージをしっかり理解して、淡々と事実を伝えるなり、情熱的に訴えるなり、原文と同じ温度で書くことだと思います。

今、コロナの影響で、北米での通訳の仕事はほぼすべてバーチャルになっています。対面での人との出会いや出張という利点が今の通訳にはありませんが、その分、自宅のパソコンで作業ができるという意味では翻訳に近い状況になり、家を離れることができない人にも機会が広がりました。各分野への適性は、やってみてこそ分かるものですし、通訳と翻訳の距離が縮まっている今だからこそ、双方のいろいろな仕事を試してみるよい機会かと思います。