Awkwardな私と多くのワード(訳語)

カエサルの言葉「来た、見た、勝った」をもじって、I came, I saw, I made it awkward(来た、見た、微妙な雰囲気にした)と記載されたマグカップ。

最近出版されたばかりのオバマ元大統領の回顧録『A Promised Land』で、オバマ氏が鳩山元首相のことをawkwardと呼んでいることに関し、日本で様々な報道が出ているようです。Awkwardという言葉の訳がメディアによって異なるため、どれが正しい訳なのかということと、オバマ氏の評価が好意的か否かといったことも報じられています。訳しにくい言葉にまつわる興味深い話な上、awkwardという言葉には個人的な思い入れもあることから、自分の経験も交えて、考えをまとめたいと思います。

鳩山氏に対する評価の訳

オバマ氏の回顧録における文面について、既に多くの方が素晴らしいまとめをされています。私自身はこの本を読んでいないため、文脈について大きなことは言えませんが、現在報じられている内容に基づいて解釈してみたいと思います。

鳩山氏に関する記述は、a pleasant if awkward fellowとあります。A pleasant but awkward fellowではないにもかかわらず、多くのメディアで、if をbut と同じように扱って、「感じはよいが」と始めてからawkwardの訳(後述)を入れています。If とbut が違うと、かなり意味が異なります。既に翻訳者の鴻巣友季子さんが指摘されているように、ifを使ったこの文面は、「ポジティブな表現に着地」しているのです。

ここはカンマが省略されており、本来は、a pleasant, if awkward, fellowと言う文面になると私は考えています。この場合、カンマが両側にあると、括弧と同じ役割を果たし、a pleasant (if awkward) fellowと同じ意味になります。ダッシュを両側に置いて a pleasant–if awkward–fellowとも書くことができます。重要なのは、カンマ、括弧、ダッシュのどれであれ、if awkwardという中身を抜いても、文章がそのまま成り立つということです。つまり、中身の部分は補助的な役割を果たしているのであり、重視されるべきなのはpleasantというところなのです。

おそらく、ここでこの文が終わっていたなら(たとえば、He’s a pleasant, if awkward, fellow. など)、オバマ氏はちゃんと両側のカンマ(または括弧やダッシュ)を入れたであろうと思います。ただ、その後もA pleasant if awkward fellow, Hatoyama was . . . と続き、カンマを何度も入れると読みづらくなるため、省略したのだと思います。

Awkwardな人とは

Awkwardは、英語でかなり頻繁に使われる割には、とても訳しにくい言葉です。本件に関しても、「厄介」(時事通信)、「ぎこちない」(TBS)、「やりにくい」(日テレ)、「付き合いにくい」(共同通信)、「不器用」(朝日新聞鳩山氏自身)など様々な訳がなされています。

Awkwardな人はどういう人かと聞かれたら、私は「人付き合いが苦手な人」だと説明すると思います。一言に訳すと、一番近いのは上記の「不器用」だと思います。「ぎこちない」も近いと思いますが、それは身体の動きや話し方を連想させる一方で、たとえば、なかなか目を合わせてくれない人もawkwardに含まれるため、少し狭義になっているかもしれません。「やりにくい」「付き合いにくい」は、ニュアンスとして正しいのですが、オバマ氏は(実際には個人的な意見にせよ)客観的な言葉としてawkwardを使っているため、ちょっと踏み込み過ぎかもしれません。

一つ明確に言えるのは、「厄介」ではない、ということです。Awkwardな人は無害ですし、迷惑をかけるタイプではありません。他人がそういう評価を下すと、若干上から目線であるだけでなく、「もう少しうまく立ち回れたら楽に生きられるだろうに...」といった、少し憐みの感情が入っています。「惜しい」「残念」といった感じで、全体としては好ましく思っているからこそ出る言葉です。A pleasant if awkward fellowは、「感じのよい人(ちょっと不器用だけどね)」といったニュアンスになると思います。

最初にこの話を聞いた時、言葉を大切にするオバマ氏がなぜわざわざawkwardと言ったのか疑問に思いました。全体として悪くない印象なら、なぜあえてそれを傷つける言葉を足したのか、と。しかし、こちらの記事を見て、オバマ氏が各国首脳をかなり批判していると知り、納得がいきました。回顧録の面白みは、当時考えたことや経験したことを率直に書くことであり、歯に衣着せぬ表現を使って当然なのですよね。

他の首脳に比べると、鳩山氏に対するオバマ氏の評価はソフトなようです。同時に、鳩山氏は相対的に強い印象を残していないとも言えます。たとえば、オバマ氏の各国首脳への評価をまとめたBBCの記事には、日本の首相は登場しません。オバマ氏は、回顧録で、鳩山氏が「3年未満で4人目」の首相であり、「7か月でいなくなった」ことに言及しています。日本のリーダーが誰であれ、存在感は薄かったのでしょう。この数年後、安倍元首相はトランプ大統領と強固な関係を築こうと並々ならぬ努力を重ねましたが、こうした首脳同士の人間関係は、やはり二国間の政治にもかなり影響するのかと思います。

Awkwardという言葉との共存

Awkwardという言葉は、人だけでなく、雰囲気や感情にも使うことができます。たとえば、今付き合っている人と歩いている時に、前の恋人とばったり会って挨拶を交わした場合。後で友人にThat was so awkward! (とっても気まずかった!)とこぼしたりもできるでしょう。または、大企業で新入社員として働き始めて間もない時に、過去にはテレビでしか見ていなかった社長が時折やってきて話しかけてきたら、毎度緊張してしどろもどろになってしまうかもしれません。そういう時も、We’ve spoken three times, but I still feel awkward. (もう三回も話しているけれど、未だに気後れしてしまう)といった言い方ができます。

つまり、誰でもawkwardに感じることはあります。ただ、そういった瞬間が比較的多いのがawkwardな人なのかと思います。オバマ回顧録にまつわる本件が特に私の心に響いたのは、私もawkwardだからです。自分の例に基づいて、この言葉の意味をもう少し考えたいと思います。

私は子供の頃から、一人で家で本を読んだり勉強したりするのが好きでした。相手の言動が予想できないことから、人付き合いには強い苦手意識を感じていました。学校でも、チームワークが必要な理科の実験や皆でやる体育が本当に不得意で、「協調性がない」と先生に言われていました。

大人になった今でも、awkwardな(気まずい)雰囲気を作ってしまうことがよくあります。人数が多い会話では特に、うまく口を挟むタイミングがつかめないこともあり、頭の中で長らく考えをまとめています。ようやくまとまって勇気が出せて、かつちょっとした沈黙が訪れた時に発言するのですが、考えに集中するあまり直前の話を聞いておらず、「とっくに皆が落とした会話のボールを今拾うんですね」と笑われたり、向こうからしたら脈絡がないので「突然どうしたの」と聞かれることもあります。

社交の場で緊張しがちだったり、手先も含めて不器用だったり、といったこともあります。私が住むワシントンDCはネットワーキングが欠かせない町です。人脈を広げるため、誰も知る人がいない立食パーティーに一人で参加することも多いです。緊張で深呼吸をしながら入場しますが、やはり知らない人とのスモールトーク(世間話)は本当にしんどく、「3人に話しかける」という自己ノルマを達成した後は、アペタイザーだけもらって帰ります。そして家に帰って鏡を見てはたと気づくのですが、いつの間にか名札のシールがはがれて髪にくっついていたり、食べ物を服にこぼしていたり。ネットワーキングが苦手な自分をただでさえ反省しているところ、どうも他の人には起きないことが自分には起きるように思え、恥ずかしさでいっぱいになります。Awkwardの極みです。

でも、場数を踏んで、徐々に人付き合いのコツがつかめてきましたし、こういった話を友人にすると、実は似た悩みを抱えている人が多いのだということに気付きました。わざわざ明かさなくてもばれてしまうらしく、以前、会って間もない職場の同僚に Don’t worry, I’m awkward too!と朗らかに言われて大笑いしたのを覚えています。

また、awkwardだからこその強みもあると思います。大人数で口頭で議論することは苦手な反面、じっくり考えて文章を練ることがとても好きです。感受性や想像力が強く、自然の彩やアートを楽しめます。威風堂々とした雰囲気はないかもしれませんが、人間らしく親しみやすいと感じてもらえることが多いように思います。

人と接することが仕事の大きな一部である政治家がawkwardと呼ばれるのは、確かに少し残念なことかもしれません。でも、awkwardであること自体は、本人はとても苦しくても、周りから見れば個性であり、決して悪いことではありません。

スピード重視のメディアの世界で、背景等をすべて踏まえた訳を行うことは非常に困難です。私がこうして後からゆっくり批評するのは簡単だということも認識しています。でも、awkwardは、私がずっともがきながら共存してきた言葉です。人付き合いは徐々にうまくなってきたとはいえ、ちょっとしたズレやタイミングの悪さは、もはや自分の個性の一部として受け入れつつあります。今回筆を執ったのは、そんな大切な言葉について書きたかったからです。

National Donut Day (全米ドーナツの日)に、無料のドーナツをもらえるということで、友人とKrispy Kremeで列に並びました。ショーケースに日本のポンデリングのようなものを見かけてそれを注文したら、単にドーナツの穴が並んでそう見えただけでした。店員さんが袋に入れるところを見て訂正したかったものの、後ろには長蛇の列で、店員さんも忙しそうなので何も言えませんでした。せっかく無料でも、普通のドーナツの6分の1くらいの大きさの穴しかもらえなかった私。こういったawkwardな間違いも、一緒に笑ってくれる友人がいれば恥ずかしくありません!?

2 Replies to “Awkwardな私と多くのワード(訳語)”

  1. 詩織さん
    またまた時宜を得たエッセイを興味深く拝見しました。このトピックは日本の翻訳者ではかなり話題になっているようですね。真のバイリンガルである詩織さんだからこそできる分析です。こういう些細な英語のニュアンスは、これからの日米関係をさらに強固にしていく上でとても重要だと思います。
    コロナは当分続きそうですが、くれぐれもご自愛を。

    1. 悦子さん、

      大変温かいお言葉をどうもありがとうございます!!
      通訳の先輩にそうおっしゃっていただいて本当に光栄です。
      こんなに身近な言葉でも、実はかなり訳しにくいということを実感するいい経験になりました。
      大量の翻訳をこなしてすぐに報じなければならないジャーナリストの皆さんには頭が下がるばかりです。

      ぜひ、言葉を通じて日米関係に貢献していきたいですね!
      悦子さんも引き続きお元気でお過ごしください!

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *