人形に見る理想像とありのままの姿

ーバービー人形等の多様性や魅力

Introduction (the full text in Japanese continues below (日本語の本文が続きます)):

米国社会を構成する様々な人を反映し、最近どんどん多様になっていくバービー人形。下記の投稿では、バービー、日本のリカちゃん、シルバニアファミリー、昔の人形(ひとがた)やお雛様などを取り上げ、人形の様々な役割(コミュニケーションツール、インスピレーションを提供するおもちゃ、自己投影をする相手など)について考えてみました。

“Dolls: Another Version of Ourselves”

This Japanese blog post celebrates the recent growth in diverse Barbie dolls (including body type, skin color, and gender), which better represent the U.S. demographic. I also discuss other dolls (Licca, a Japanese equivalent of Barbie; Sylvanian Family, a collection of animal figurines; and traditional Japanese hina dolls), exploring the many roles that dolls have, including as communication tools and sources of inspiration.

LGBTQのコミュニティを支援します、という言葉とともにバービーの公式インスタグラムに投稿された様々な人形。

近年の米国では、 小説映画やテレビ番組広告政治など、あらゆる分野においてrepresentation (実社会における多様な人々が各分野においてしっかりと反映されていること)が話題になっています。「白人だらけ」「男性ばかり」ーそういった批判を受けては進歩を遂げることの繰り返しです。

その一環として、子供が幼い時から触れる人形については、バービー人形が大きく進化しています。人種、体型、職業などが徐々に多様になり、その変化がメディアでも頻繁に取り上げられています。ありのままの社会をより忠実に表すべく、変化していると言えるでしょう。私たちがバービーや他の人形からどんなインスピレーションを受け、人形にどのように自己を投影し続けているのかを考えてみました。

バービー人形の変革

ハワイで子供時代を過ごした私は、学校や日々の生活でアジア系の人々に囲まれて育ちました。童謡のテープや童話の本など、両親が日本から取り寄せてくれたものもとても多かったのですが、何もしなくても、日本を含むアジアの文化に簡単に触れられる環境でした。他方、 ドラマ、映画、小説など、米国本土から来るエンターテインメントにおいては、圧倒的に白人が主人公で、ハワイにおける日々の生活とはかけ離れた社会を描いていました。バービー人形も、(実際には既に黒人のものも出ていたようですが)おもちゃ屋さんや友人の家で目に入るものは、背が高くて細い金髪碧眼の女性のみでした。

それから30年が経った今、バービー人形は驚くほど多様になっています。 多様性に関するバービーの特設ページによれば、現在35以上の肌の色と9つの体型のバリエーションがあるそうです。 職業やジェンダーなど、いろいろな形の多様性がありますが、古くから発達していた分野からごく最近変化のあった分野まで、時系列順に並べると、米国の社会における各時代の変化をとてもよく反映していることが分かります。

コロナ禍でマスクをしつつ、Black History Month(黒人歴史月間)の2月にデモに参加する人形たち(左から二人目は白斑のある人形)。称賛しているコメントが多い中、「こういった活動には白人のバービーやケンも参加しなくては意味がない」と言う指摘も。

多様性に強い関心がある私としては、こうした選択肢の広がりがとても嬉しいです。もちろん、こういった変化の裏には商業的な理由がありますし、「少し進歩があったとしても、バービーは所詮きれいという理由だけで称賛される、典型的な『女の子のためのおもちゃ』であり、女性にとって大きな飛躍とは思えない」「子供の頃丸かった私がふっくらしたバービー人形を人からプレゼントされたら、逆に絶望しただろう」(それぞれ筆者訳)といった批判もあります。また、先日別の投稿で、「人型の絵文字をどれほど作り続けてもきりがなく、作れば作るほど、そこに自分の姿を見い出せない人を失望させる」と書きましたが、人形についても似たようなことが言えるでしょう。 ただ、全体としては、よい方向に進んでいると思います。

人間ではないシルバニアファミリーの魅力

私は本来、そこまで人形に興味がなく、子供の頃も、人からいただいたジェム(当時放映されていたアニメの主人公で、ロック歌手兼レコード会社の社長)の人形を持っているだけでした。通常はおとなしい社長が時折派手な歌手に変身するということで、服も二セットあり、 今考えれば、アーティストとビジネスリーダーと言う二つの仕事を持つ女性はかなりかっこいいと思います。ただ、日本やハワイに縁のない白人だからか、興味のある職業でなかったからか、当時はそこまで感情移入できませんでした。

私は人間よりも動物に惹かれ、シルバニアファミリーがとても好きでした。小さな家具やお皿のセットを徐々に買ってもらって集めては、クマやウサギの一家で遊んでいました。シルバニアファミリーのウェブサイトは、「自己投影できる多彩なキャラクターたち」と遊ぶことが「人と関わるコミュニケーション力を豊かにする」としていますが、私はそれが適度な投影だと思います。つまり、 動物ですので、人間である自分と肌の色や体型等を比較して落ち込んだりする心配はありません( 私は、人型の絵文字よりもピトグラムの方が、人種等を超えて皆が共感できると考えていますが、それと同様です )。また、違う種類の動物が次々に登場し、共生しているシルバニアファミリーの世界は、多様性への意識も育むように思います。

ただ、今再考すると、さらなる進化の余地はある気がします。たとえば、主に日本の子供が対象であるだろうにもかかわらず、シルバニアファミリーの服装、家、街並み等は皆西洋のものなので、なんとなく欧米中心で、日本らしさがあまりないのが残念です。また、「ファミリー」というブランド名からして家族の大切さを示している半面、セットとして売られている各ファミリーにはお父さんとお母さんが一人ずついて、子供も親と同じ種類の動物であるようです。シングルペアレントの家族、お母さんが二人いる家族、動物の種類が混じった家族などはないため、実世界のいろいろな家族の形を反映したい場合には、複数のファミリーを買って組み合わせるしかなさそうです。

数年前にデパートでシルバニアファミリーの特別展に通りかかり、懐かしくて等身大(?)のショコラウサギファミリー一家とパシャリ。気付けば後ろには5歳くらいの女の子が順番を待っており、恥ずかしかったです💦 (2019年12月、新宿小田急デパートにて)

リカちゃんと解釈の強み

日本の人形で一番知られているのはリカちゃんでしょう。趣味がファッションやお菓子作りということで、どのリカちゃんもお洒落でおしとやかなイメージです(スポーツも趣味だそうですが、あまり行動が伴っていません)。バービーに比べるとバラエティが少なく、多様性と言う意味でそこまで進化がないようです。

他方、リカちゃんのイメージを覆す面白い試みをされている方がいます。ある20代の会社員の女性がずぼらなリカちゃんの写真や動画をインスタグラムに挙げており、それがとても話題になっています。NHKがインタビューしたところ、その女性は「自分がリカちゃんだったらどんなんだろう、自分を投影してみようと思った」そうです。また、「家の中くらいこんなんでもいいじゃんって自己肯定感を高めている」とも語っています。私も各投稿にとても共感し、毎度細かいインテリアに感嘆しています。人形そのものは変わっていないのに、服装や周囲のもので解釈を変えることにより、ありのままの世界を示しています。だらしないリカちゃんは、 多様なバービーよりもさらに親しみやすく、温かみのある人形に見えてくるから不思議です。

数ある「現実を生きるリカちゃん」の投稿の中でも、私が最も共感したものの一つ。

人形への投影

人形は、少なくとも日本では、元は自己を投影するものでした。病気等を避けるため、自分の災厄を人形(ひとがた)に託して川に流したのがお雛様の起源であるというのは有名な話です。神事においては、自分の代わりにお祓いを受けてもらうこともできます。コロナ禍を受け、鶴岡八幡宮などは、自分でお祓いができるように、紙の人形(ひとがた)と、それを納める箱を常時設置しています。

今、鶴岡八幡宮では茅の輪をくぐり、人形(ひとがた)を納めることができます。(2020年2月)

人形(ひとがた)は人形(にんぎょう)になりましたが、今でも私たちはそこに自分を投影しています。米国の非営利団体「A Doll Like Me」は、注文を受けて、多様な子供たちと同じ姿の人形を作っています。同団体のフェイスブックのページは、皮膚や四肢などが他人と異なる子供が人形を抱えて微笑む写真でいっぱいです。 人形の作者である女性は、「人形は、ストレスの多い状況に子供が対応するときに助けてくれますし、何より、子供に自信を与えます。そのためにも、人形は、彼らを愛してくれる子供たちに似せて作られるべきなのです(筆者訳)」と書いており、人形の料金を取らずに寄付金だけで経営を行っているようです。

同時に、人形の発達を受け、私たちはいつの間にか、人形の姿からインスピレーションを受けるようにもなりました。人が人形に投影していたのが、人形から人へも投影するのです。昔の人が病を託していたお雛様は、今では少女の成長を祝い、結婚や家庭を象徴するめでたい道具となっています。(素晴らしい伝統ですが、これまた、明確なジェンダーロールや結婚に対するプレッシャー等が今後問題になって、変わりゆく可能性はあると思います。)

ウエストが恐ろしく細かった昔のバービーは、少し強制的な理想像でした。今のロールモデルのバービー人形は、実在の大人に似せているので、ある意味ありのままの姿ですが、同時に、将来を夢見る子供にとっては理想像でもあります。 また、ずばらなリカちゃんを見ると、同じ人形でも、環境や服装をどう変えるかによって、ありのままと理想像の間を行ったり来たりできることが分かります。

いずれの場合も、人形はコミュニケーションツールだと言えるでしょう。人形の作者、人形を買って子供にあげる大人、社会の風潮などがすべて織り交ざって、人形をもらう人に対して、各々のメッセージを作っています。「こうなったらいいよね」、「こんな夢も君なら実現できるよ」、そして、「ありのままの君でいいんだよ」、と。

小さなシルバニアファミリーにも、さらに小さな人形(写真右下)が出てきます。ヒツジの子供がウサギの人形を持って育つとどうなるか、考え出すと興味深いです!

今の社会は、どんどん自分らしさを前面に出す風潮となっており、そのため、人形にも多様性が反映されていると言えます。全体として、日本の人形はバービーをはじめとする米国のものに遅れていますが、今後状況は変わっていくと期待しています。また、ずぼらなリカちゃん、車椅子に置かれたバービー、家族が混ざったシルバニアファミリーのように、出来合いのものを買ったとしても、そこから先の解釈は、私たち自身が変えることができます。

人形を見た時、私たちは、今の自分、もしくは将来なりたい自分を無意識に探してしまいます。常に共感したい気持ちでいっぱいで、自分との共通点を見つけた時には、思わず嬉しくなってしまいます。もし今後誰かに人形を買う機会があれば、その瞬間に気に入ってもらえるかだけでなく、どうすれば長期的に心が休まる空間を提供し、自信やインスピレーションのリソースとなってもらえるかも考えたいと思います。

Visualizing data without misleading or stereotyping

Introduction:

In the wake of the presidential elections that revealed a nation that remains highly divided, this bilingual post explores how we might visualize data in a way that doesn’t mislead audiences or stereotype different types of people.

今月初めに行われた大統領選挙では、米国でまだまだ分断が続いていることが明らかになりました。この投稿は、誤解を招かず、ステレオタイプを強化しない形でいかにデータを可視化できるかについて模索しています。英語の本文の後に日本語が続きます。

Earlier this month, we witnessed one of the most dramatic presidential elections in history. These past four years, the U.S. had been unrecognizable to me. As a woman, quasi-immigrant, and minority, I felt that I was unwelcome on all three counts. I was in a state of disbelief as racist remarks and actions were normalized, and many laws that I had been proud to associate with the U.S. were rolled back one by one.

It is a huge relief to have a national leader who seems rational, calm, and mindful of the growing diversity of the U.S. demographic. I am ecstatic that we now have the first woman vice president–who also happens to be Black, Asian, and the daughter of an immigrant. That fact alone allays my concerns about criticism over the president-elect’s treatment of women.

A Divided Country

But as we all know, this was no swift victory. The “blue wave” touted by pundits never came. Instead, we had a handful of swing states that flipped, one by one, from slightly red to barely blue over the course of four days. I kept taking screenshots of the close race (at one point a difference of 1,000 votes, or less than 0.1%!) and sending it to friends. I pored over the news analyzing the developments in each state, from which counties’ votes were being counted first, to why Nevada seemed to take its sweet time, to legendary figures like Stacey Abrams and the late John McCain affecting the outcome in Georgia and Arizona.

The state of the swing states as of the morning of Nov. 6. With 99% of votes reported, Georgia had a difference of 1,000 votes, or less than 0.1%. Screenshot from Google based on results compiled by the Associated Press.

Maps

With all the election results readily available online, it has been really fascinating to be able to zoom into any state and look at the results in each county. Maps like this one (for Virginia) show islands of blue cities in a sea of red.

Election results by county in Virginia. Screenshot from Google based on results compiled by the AP.

But this year, the way maps show election data seemed to undergo an important and fascinating shift. With the slogan “Land doesn’t vote; people do,” several maps came out to show votes in proportional circles based on how people voted in each county, as opposed to coloring in the entire area of each county. Since fewer people live in rural areas, this was a much more accurate representation. Based on how much recognition these newer maps received, I suspect future elections will be represented in this way.

Either way, the fact remains that we are a deeply divided country, mostly reflecting whether we live in urban or rural areas. So how do we heal as a nation? One way, I think, is to avoid stereotyping others as much as we can.

Visualizations that Reinforce Stereotypes

The below illustration is called “What it means to be a typical Democrat or Republican, based on everyday items.” A translation of the words that appear throughout the illustration are in the chart below (all translations are my own).

From this website of The Asahi Shimbun. I added the numbers in purple for the translations provided below.
DemocratsRepublicans
Prius; VolvoCarsHummer; Porsche
MSNBCTV stationsFOX
Comedy; RomanceMoviesWar; Action
Jazz; RapMusicCountry
Tennis; SoccerSportsRodeo; Motor Races
Women: Silky smooth; Men: Long with beardsHairstyleWomen: Voluminous; Men: Short and neat
CasualAttireBusiness Suits
Sushi; VegetarianFoodFried Chicken; BBQ
StarbucksBeveragesCoors Beer

This was apparently first published in The Asahi Shimbun about 10 years ago. It came up on its website this past March (with the explanation that “trends have not changed that much since then”) as part of an article that helps young job applicants / recent college graduates understand current events.

When I first saw this, I couldn’t help but laugh. It’s wonderful that Japanese audiences are paying close attention to the U.S. elections. I think visuals are very important, especially to a younger audience. But I also think we need to be careful not to generalize too much–precisely because we are shaping young minds.

To start with the basics, the data comes from mixed sources. This illustration is apparently based on “data from advertising and research firms, as well as the voices of American voters.” That’s at least three sources that probably use different methodologies, samples, dates, and collection methods. While I don’t expect the entire methodology to be part of the picture, I’d at least like to know the names of the companies that collected this data.

The illustration is full of points I want to ask more about. For example (and I am also making big generalizations here), the “Republican” category seems to combine several types of people: the military type (short, neat hair), the wealthy type (Porsches), people living in rural areas (fried chicken; country music), etc. More minor examples show weird combinations too, like Starbucks (likely coffee) with sushi for Democrats. It is very confusing because all these mixed data is illustrated in the same picture.

And while the variety in music tastes and hairstyle is certainly interesting, I don’t see how it makes a big difference. The only thing I thought was truly relevant here is the type of media consumed (FOX vs. MSNBC), which other sources also indicate. I would rather know about the difference in opinion on topics like education, immigration, and religion. And, at least in terms of food, there’s evidence that we can’t associate them with political thought: The New York Times recently published a quiz asking readers to look at photos of fridge contents and guess whether they belong to a Trump supporter or Biden supporter. As of today, readers have made 25 million (!) guesses, and were correct 52% of the time–it’s 50/50, even with that huge sample.

Caricatures

To me, the most egregious point that could be corrected is that all four people depicted here are white. According to data compiled by the Pew Research Center, as of 2019, 40% of registered Democrats were non-white (even back in 2010, when this illustration was made, it probably would have been more than 36% (2008)). The Democratic party clearly states that “diversity is a strength,” and its support for immigrants and minorities is clear. So it seems especially odd to represent 100% of the Democrats here as white people.

But I also see how it’s extremely hard to visualize people “correctly.” Take, for example, the controversial NHK video that attempted to explain the BLM movement in June. If Black people or other minorities were added to the Asahi Shimbun visualization of Democrats and Republicans, would it have made things better? I doubt it, because it’s hard to illustrate someone without resorting to caricatures, especially if you do not know them well.

A screenshot (from here) of the controversial NHK video that illustrated Black people who wore tank tops and Afros, lighting the city on fire, and saying that they were resorting to violence because they were angry about the income gap (with no mention of police brutality)

And the truth of the matter is that there’s an inherent difference in illustrating someone who is already in the majority versus someone who is not. The former has already been drawn in many different ways, and one additional illustration is just that–a collection to add to many different images that readers may have in their head. It won’t skew the audience’s minds in either direction. Someone who is rarely drawn, on the other hand, automatically becomes a representative of their entire group because they are rarely seen. It’s similar to how movie characters used to be caricatures. The token Asian characters in older films were stereotypes (Mr. Yunioshi in Breakfast at Tiffany’s or Long Duk Dong in Sixteen Candles), whereas now we are seeing diverse backgrounds and personalities (from Crazy Rich Asians to The Farewell) because there are more films and more characters.

Visualizing Content in Better Ways

A lot of the data in the Asahi Shimbun illustration is interesting, even if not necessarily relevant. I think this could be improved by 1) listing its sources by name, 2) not showing people in the illustrations, and 3) instead of showing the top one or two in the same big picture, perhaps choosing the top five in each category and turning them into separate charts. Illustrations are so powerful, helping us understand and remember things better–but without the full context, they can also be misleading.

Media have to work with quick deadlines, and it’s easy for me to be an armchair critic. But as people pointed out with the BLM video, I believe there are ways to find consultants. On a deeper level, I believe we all need to have a better understanding of each other, so that we don’t stereotype others, and know when we are about to create caricatures.

These take long conversations, better education, more reading, stronger media representation, and so much more. But to circle back to the original discussion, at least we know that we are politically divided. At least we are beginning to learn, in the past six months, how much pain Black people have been experiencing. I hope that we can strive to understand each other. After this election, the only direction to go is onwards and upwards.

ステレオタイプを強化しない形で情報を可視化するには

今回の大統領選挙では、大好きな米国がようやく少し戻ってきた気がします。2016年の選挙以降、移民、日系人、そして女性として、ずっと緊張や不安を抱えてきました。国のリーダーがアジア人に差別的な言葉を使ったり、移民に対する大統領命令を発したり、女性蔑視の発言をするたび、心身ともに疲弊し、いつも少し怯えながら過ごす日々でした。今回、バイデンが大統領となって心から安堵しましたし、初の女性・黒人・アジア系の副大統領が誕生したことを、本当に誇りに思います。

ただ、選挙の結果を見て、国の分断がまだこんなにもひどいことに驚いたのも事実です。スイングステート(激戦州)では、最終的に民主党が勝ったところが多いものの、一時期は数千票、0.1%以下の僅差だったりもして、結果が分かるまでの数日間は本当にやきもきしました。地図を見ても、驚くくらい、都市部と田舎とで政党が真っ二つに分かれています。これからこの分断をどう乗り越えていくかが大きな課題となります。

ステレオタイプを強化する恐れのあるイラスト

そんな時にたまたま、上記の「身近な品々に見る『民主らしさ』『共和っぽさ』」というイラストを友人が送ってくれました。もとは10年前に朝日新聞に掲載されたのが、最近になって「今でも傾向は変わらない」と言う解説とともに浮上したようです。

これを最初に見た時、ツッコミどころが多くて笑ってしまいました。興味深い視点ですし、分かりやすく可視化している姿勢が素晴らしいと思います。でも、可視化するからこその危険性も多分にあると思います。

まず、情報源は「広告会社と調査会社のデータおよび米有権者の声」とありますが、そうすると、少なくとも3つの情報源から得たデータとなり、それぞれ異なるサンプル、日程、調査方法であると想定されます。それをすべて一つの絵にまとめていること自体少し不思議だと思いますが、そうであれば、少なくとも広告会社や調査会社の名前を掲載した方がよいかと思います。

細かい点を見ますと、たとえば「共和党支持層」は、いろいろなタイプの人たちが混じっているように見えます。それこそステレオタイプに基づいて例を挙げると、軍人(「整えた短髪」)、富裕層(「ポルシェ」)、田舎に住む人(「フライドチキン」「カントリー」)がすべて一緒になっています。民主党の方でも、スターバックス(のおそらくコーヒー)を寿司と飲む、という不思議な構図になっています。これも、いろいろな情報源から集めたデータが同じ絵にあるから違和感があるのかと思います。

共和党・民主党支持者が視聴するメディア(「TV局」)はとても重要であり、FOXとMSNBCが両極端にあることは他でも立証されていますが、映画や音楽など、それ以外の点に関しては、それほど重要だとも思えません。むしろ、教育や移民政策、宗教等に関する考えを取り上げた方が興味深い気がします。さらには、少なくとも食べものに関しては、政党との関連性が低いことが分かっています。最近ニューヨーク・タイムズ紙は、冷蔵庫の中身の写真を見て、トランプ支持者かバイデン支持者のものかを読者が当ててみるというクイズを発行しました。現時点で読者は2500万回(!)推測してきましたが、正解率は52%。それだけ巨大なサンプルでも、まだ五分五分なのです。

人物のステレオタイプ

私が最も残念だと思うのは、この絵に描かれている人が4人とも白人だということです。2019年の時点で、登録している民主党支持者のうち、40%が非白人でした(このイラストが描かれた2010年でも、36%(2008年)以上だったと思われます)。また、民主党は「多様性は強みである」と明言しており、移民やマイノリティを支持していることも明らかです。したがって、民主党支持者の100%が白人として描かれているのは残念なことだと思います。

同時に、「正しい」形で人を可視化するのは大変難しいことです。6月にBLM運動を動画にし、物議を醸したNHKのビデオがよい例だと思います。黒人や他のマイノリティをこの朝日新聞の民主党・共和党のイラストに入れたところで、状況は改善しなかったかもしれません。あまりなじみがない人たちを可視化しようとすると、ステレオタイプに基づいた滑稽な絵になってしまいがちです。

多数派の人とそうでない人を描くことには、本質的な違いがあります。前者は既にいろいろな場で、様々な形で描かれており、一枚の新しいイラストは、読者の頭にあるイメージのコレクションに足されるだけであり、これまでの印象を大きく変えるわけではありません。一方、めったに描かれない人は、その人が所属するグループ全員を代表するような形になってしまいます。これは、映画の登場人物にも言えることだと思います。古いアメリカ映画のアジア系の登場人物は、ひどいステレオタイプに基づいていましたが(『ティファニーで朝食を』のユニオシ氏、『すてきな片思いの』ロンなど)、最近はアジアを中心とした映画や登場人物が増えてきているおかげで、多様な背景や個性が描かれています(『クレイジー・リッチ』や『フェアウェル』など)。

より良い形での可視化

朝日新聞のイラストには、興味深いデータが満載です。もし改善するとしたら、1)情報源の会社名を明記し、2)人物は描かず、3)上位1~2位だけを同じ絵の一部として描くのではなく、たとえば各カテゴリーのトップ5などを別々の表にして出す、といったことができると思います。イラストは、物事を理解し記憶する上で素晴らしいツールとなりますが、全体像が見えないと、誤解を招くことにもなりかねないと思います。

メディアは締め切りに向けて急いで作業を行わなければなりませんし、私がこうして後から批判するのは簡単なことです。でも、BLMのビデオに関して他の人も指摘したように、コンサルタントなど、何かしら事情に詳しい人に話を聞いて確かめることはできたのではないかと思います。より長期的な話で言えば、こういったステレオタイプを行わないように、私たちそれぞれがお互いへの理解を深める努力をすべきなのかと思います。

そのためには、対話を続け、教育を改善し、より多くの本を読み、映画・テレビ・本等における登場人物をより多様にしたりと、様々な課題があります。しかし、私たちは少なくとも、政治的な分断が続いているという事実、黒人の人たちが今も苦しんでいるという事実などを学びました。今回の選挙を受け、私たち皆で一緒に前に進み、相互理解を深めていけることを願っています。

Black Lives Matterをめぐる言葉の考察

英語の概要(日本語の本文が続きます):

“Thoughts on Wording Surrounding the BLM Movement”

Some of the phrases we have been hearing in relation to the BLM movement are difficult to convey in Japanese, and I wanted to really sit down and look into them. Here’s a Japanese blog post that explores some key phrases–what “Black Lives Matter” means, why we ought not to say “All Lives Matter,” how “defund the police” could be interpreted, and the difference between “Black” and “African American”–based on what I thought and learned from friends and other articles.
ワシントンDCの市長が命名したブラック・ライブズ・マター・プラザとそこで抗議する人々(2020年6月)

2020年でこれまでにないほど大きな動きとなっているBlack Lives Matter。今年の抗議が始まって3週間以上経ちますが、その波紋は広がるばかりで、今度こそ、全米、ひいては世界で画期的な変化につながることを期待しています。

日本語でもこの動きを解説する多くのリソースがあり、黒人でない私に更なる説明を行う資格はありません。しかし、報道等では伝わりづらい表現や言い回しがいくつかある気がしますので、言葉に焦点を当てて、 自分が今回考えたことや学んだことを少し述べたいと思います。

Black Lives Matter

このフレーズは非常に訳しにくく、日本の報道においても様々な表現を目にします。

まず、直訳して「黒人の命大切」という表現を使っている報道を多く見受けます。ただ、「は」は、他の方の命は大切でないような、排他的なニュアンスがあると思います。そういった意図はこの動きにありません。SNSなどで流れている以下の画像がうまく説明していると思います。(下記のAll Lives Matterについての箇所もご参照ください)。

SNSより:「『Black Lives Matter』と言っている私たちは、黒人の命だけが大切だとは言っていません。すべての命が大切だということは分かっています。ただ、黒人の命が危険に晒されているため、Black Lives Matterの動きで皆さんの支援が必要なのです。」

「黒人の命大切」としている報道もあります。こちらの方が、実際のニュアンスに近いです。この動きを説明している英語の記事や本でも、口にはされないtooがあるのだと説明したり、括弧書きでBlack Lives Matter (Too) としたりしています。ただ、ハフポスト日本語版が「黒人の命も大切」と訳したところ、黒人の人たちが受けている差別を矮小化しているという意見もあったそうで、これもご指摘の通りだと思います。ここからは個人的な見解ですが、英語でtooを付けないのには、黒人の命が他の命と同等であるべきだからこそ、追加的に言わなければならないことではない、という意図があると思います。したがって、口にされていないtooを日本語で付けてしまうと、誤訳になってしまうのです。

「は」も「も」も違うのであれば、「が」を使うべきなのでしょうか。それぞれの助詞を使って「黒人の命〇大切」で簡単なウェブ検索をすると、「は」約33万件、「も」約19万件に対し、「が」はわずか4万件しかありません。正直、少し唐突に「が」を使っているような、文法的に不自然な感じは否めません。

個人的には、答えはmatterと言う言葉にあると思います。ここで「大切」と訳されているこの言葉は、より広く使われる important(重要)やvaluable(貴重)とは異なる意味があります。Matterという言葉は、「事柄として考慮すべき」という意味で、一見、importantやvaluableほど強く聞こえませんが、それは使われる状況が異なるからです。後者二つは、相手が特に先入観のない、白紙状態の会話で使われ、0からプラスの状態に持ち上げます。他方、matterは、相手が大切だと思っていないことに関して、「実は大切なんです」と訴え、マイナスの状態から上げていく言葉です。Matterが名詞としては「物質」や「案件」などを意味することを考えると、動詞としても「存在してないと思われていることが存在している」という意味が込められていると思います。黒人の方の命は、これまで軽視されてきました。400年前にアフリカから連れてこられた時から、奴隷として働いた時も、公民権運動の前も、その後もずっとです。あの警官はジョージ・フロイドさんを人間として見ていないから、首を膝で押さえつけたりすることができるのだと思います。したがって、Black Lives Matterは、「これまで軽視されていた黒人の命は大切」と言う意味になり、そこまで書き出すと、「は」が排他的に聞こえなくなります。(6月20日追記:背景も含むとこのような形になりますが、この長い言葉が最適な訳だと提案しているわけではありません。たとえば、こちらのNHKの記事には、より自然に聞こえる意訳がいくつか提示されています。)

こういった意味をすべて、Black Lives Matterというシンプルな3つの単語、抗議でも唱えやすい4つの音節に凝縮しているのはすごいことだと思います。正確な訳に関する議論は今後も続いていくでしょうが、これだけ大きな動きとなった以上、もはや毎度無理に訳さなくてもよいのではないかと思います。ニュアンスが一度伝われば、カタカナが一番誤解を生まずにすむかもしれません。また、そのような形で日本における外来語として皆に認識してもらった方が、日本においても着目すべき概念だということがより伝わるのではないかと思います。「命が大切」という、当然であるべきことを、わざわざ大々的に言って抗議しなければならない...それほど事態は深刻です。

All Lives Matter

日本語の記事や投稿がいくつか解説していますが、残念ながら、All Lives Matter(すべての命が大切)という言葉は適切ではありません。正直、初めてAll Lives Matterと言う言葉を聞いたときには、黒人でない自分も含まれている気がして、私も少し嬉しくなりましたが、その後この言葉に関する多くの解説を見て、それが間違いであることに気付きました。

前述のように、Black Lives Matter の言葉に排他的な意図はありません。「すべての命が大切」なのはいうまでもないのですが、黒人の命は軽く扱われてきたからこそ、こういった運動で黒人に特化した言葉ができています。そもそも、matterの意味を踏まえると、恵まれている人も含む「すべての命」とはそぐわないことが分かります。Black Lives Matterと同じ言葉を使って真似しているものの、その言葉の重みは考慮できていないことが明らかです。

今では、All Lives Matterという言葉が、せっかくのBlack Lives Matterを無に帰す、黒人の方に対して無神経な言葉だと言われています。All Lives Matterを口にする人には、善意から、黒人でない自分も動きの一部になりたいという方や、分断をなくし命の大切さを皆で一緒に語ろうという意思がある方も多いと思います。White Lives Matterという看板を持って練り歩く白人至上主義者とは全く異なります。しかし、このように、今の状況下ではAll Lives Matterと言う言葉はネガティブな意味合いを持ちます。

SNSで使われていた別の画像も添付します。黒人の人々が苦しんでいるときに言うべきことではなく、ましてや、彼らが経験してきた差別を知らない私たちが言うべき言葉ではありません。

SNSより:「もし私の妻が、明らかに苦しんでいる状態で『私のこと愛してる?』と聞いてきたら、『皆のことを愛してるよ』と返すのは正確な答えかもしれませんが、その状況においては残酷であり、彼女を傷つける言葉です。もし私の同僚が、明らかに落ち込んでいる状態で『父親が死んだばかりなんだ』と言ってきたら、『誰の親でも死ぬよ』と返すのは正確な答えかもしれませんが、その状況においては残酷であり、その同僚を傷つける言葉です。友人が明らかに苦しみ、傷ついた状態で『Black lives matter』と言ってきたら、『すべての命が大切だよ』と返すのは正確な答えかもしれません。しかし、この状況においては残酷であり、その友人を傷つける言葉なのです。(ダグ・ウィリフォード作)」

別の例としては、こちらの漫画もあります。複数の家が並んでいる中で一つ燃えているとき、すべての家に放水するのは無意味なことですし、燃えている家への対応が遅れます。なお、この漫画は2014年のものです。その時から既に、もう6年も、All Lives Matterという言葉に対する説明がなされており、米国ではその認識がかなり浸透してきたように思います。今回、Black Lives Matterが世界全体に広がり、それとともに、悪意のないAll Lives Matterと言う言葉がまた人々の口に上るようになってしまったのかと思います。しかし、私たち個人がどれほどポジティブな形で解釈したとしても、それを今言うことは、黒人の方々の動きに水を差してしまうことになります。

Defund the Police??

抗議の次のステップとして、警察を今後どうしていくかということも話し合われています。スローガンとしてdefund the policeという表現が頻繁に使われていますが、このdefundという言葉は、米国で大きな物議を醸しています。英語でもほとんどの人がこれまであまり馴染みがなかった言葉(このブログを書いているワードプレスでも、スペルチェックに引っ掛かります)であるため、各々が異なる解釈を行っているのです。

CNNアトランティック誌ヴァイスなどの多くのメディアが、defund the policeが何を意味するのかという分析を行っています。アトランティック誌の記事の見出しは「『Defund the police』という言葉は、defund the policeという意味ではない。ただし、そういう意味の場合もある」(副題:「文字通り解釈すべきなのか?」)です。この言葉がどれほどの混乱を招いているかをよく示していると思います。

主要メディアに加え、オンラインの辞典であるdictionary.comも本件に関する記事を出しています。それによると、defundと言う言葉の定義は、to withdraw financial support from, especially as an instrument of legislative control(法的統制のツールとして、財政支援を止めること)とあります。また、「多くの活動家や研究者、一部の政治家によれば、defund the policeは、『お金の力を使って、これまでの漸進的な変化では達成できなかった制度的改革を行う』と言う意味」だとも書いています。

最初にこの言葉を聞いたとき、私は、資金停止はとどのつまり解体だということだと思い、あまりに極端だと思いました。実際、解体と言う意味で使っている活動家もいます。しかし、これらの記事を読んだり人の話を聞いたりすると、「政府やコミュニティ内に置ける資金の再分配」を指して使っている人が大半のようだということにも気付きました。何に分配するかというと、たとえば、上記CNNの記事で引用されているBlack Lives Matterの動きの共同創設者は、「これまで資金を取り上げられてきた黒人のコミュニティに投資し、これまで警察が対応してきた人たち(心の病やDVに苦しんだり、家がなかったりする人)に対する福祉サービス、学校や病院、住宅や食料の供給に使える」としています。中道派のバイデン大統領候補など、それも抜本的過ぎると考える人もいますし、賛成派の間でも、具体的に何に投資するかで意見が分かれることが容易に想像できます。こういった諸々の意見を踏まえ、警察を持つ自治体や政治家が、各々の対応を検討しているようです。

それにしても、もう少しいいスローガンはなかったのでしょうか。皆が合意できない言葉と言うのは、活動や抗議をしている人たちを分断させますし、それぞれの自治体においても、人々との話し合いに苦労するだろうと思います(フロイドさんを殺害した警官が所属するミネアポリスの警察は、いち早く本当に解体されることとなりましたが、ここまでの対応はなかなかないと思います)。私の知り合いには、demilitarize (非武装化)という言葉を使うべきだという人もいます。資金の削減が警察の武器を減らすことにつながるなら、今回まさに問題の一つとなっている警察の武力行使(フロイドさんはじめ黒人の方々のみならず、抗議者に対しても)をなくしていくことになるため、私もそれはいい案だと思います。

Black Lives Matterは、黒人が米国の警察に何度も殺害されていることに対する抗議運動として端を発したため、各地における警察の見直しは、大きな進捗だと言えます。黒人の親が子供に必ず警察への対応の仕方を教えなければならず、特に男性の命が危険に晒される状況には、本当に心が痛みます。他方、制度的差別があまりに根深く、社会のあらゆる側面に浸透しているため、目の前の具体的な問題(警察のことのみならず、南北戦争で南軍を率いた人々の像の撤去など)で進捗があっても、より大きな問題はなくなりません。今後論点がずれていったり、象徴的な進歩で大きな目標が見失われたりしないことを願っています。

BlackとAfrican American

Black Lives Matterの中心にあるBlackという言葉。恥ずかしながら、私は先日までこの言葉がAfrican Americanと同じ意味だと思っていました。正直、Black はもともと肌の色から来た言葉なので、自分がyellowと呼ばれたら嫌なように、その言葉自体、黒人でない私は言ってはならないのかと思っていました。また、子供の頃、正しい表現はAfrican Americanだと習った覚えがあったため、そちらを使うよう努めてきました。でも、これも間違いでした。

黒人の友人と話したところ、アフリカから移民してきたばかりの人はAfrican Americanと呼べるかもしれないが、自分のアイデンティティはBlackだと説明してくれました。先祖を辿って、アフリカから来たらしいということは分かっても、具体的にいつどこからといった詳細は分からず、個人的にアフリカとの絆を感じないとのことです。更に、黒人にはアフリカ以外の場所(たとえば西インド諸島)から来た人も、アメリカ人ではない人もいるため、そういった人たちも含めることができるBlackという言葉の方が包括的なのだそうです。(別の人が作成したこれらの画像も、この二つの言葉の違いをうまく説明していると思います。)

African American の方が正しい言葉なのかと思った、と友人に説明したところ、世代間のギャップはあるとの話でした。つまり、公民権運動を経験した彼女のご両親の世代は、黒を意味する差別的な古い言葉「ネグロ」から距離を置くため、African Americanを使っているそうです。若い世代の方がBlackという言葉に共感を覚えるのだそうです。

この話からいろいろと考えさせられました。私はアジア系アメリカ人としてのアイデンティティを持ち、日系人全体が比較的新しい移民だということもあって(日本からの最初の移民「元年者」は約150年前に来ました)、マイノリティのアメリカ人は皆「〇〇系」と呼べると勘違いしていました。黒人の方は、人によっては先祖が米国に来たのは400年前ですし、アフリカと距離があるのは当然ですよね。また、世代間のギャップや、自分が子供の時受けた教育と状況が異なることからも、言葉は生き物だということにあらためて気付かされました。

今私たちは、歴史的な動きの渦中にあると信じていますし、自分に何ができるかと考える日々が続いています。言葉という観点からも、これらのものが今後どのように進化していくのかを見続けたいと思います。

ブラック・ライブズ・マター・プラザに大きく書かれたBlack Lives Matterの言葉の冒頭の部分。

The Momentum for Change

–Thoughts on the Black Lives Matter movement

Summary in Japanese (the full text in English continues below):

「変化を起こす力」

ワシントン近辺に住むアジア人として、今の自分に何ができるのか。同じマイノリティとして、いても立ってもいられないけれど、こんなに知識がない私に運動に参加する資格があるのか。答えが分からないまま、毎日のニュースに感じる悲しみや怒りや失望に関して、少しずつ書き溜めてきました。

一昨日、DC市長がホワイトハウス前の道の一部をBlack Lives Matterプラザと命名し、大きな文字で書き記しました。私もようやくポジティブな気持ちを取り戻すことができ、抗議に参加してきました。今後はもっと人の話を聞き、勉強して、制度的差別の状況をきちんと知りたいと思います。もう何年も黒人の方に対する警察の暴力が露呈しており、毎度抗議や暴動、大々的な報道があるのに、未だに繰り返されることが信じられません。今度こそ、これがモメンタムとなって、差別がなくなっていくことを切に願っています。

The DC flag at the end of the “Black Lives Matter” sign. This sign has definitely made me very proud of the city!*

The past ten days have brought so many emotions, it’s been hard to put them into words. Everyday, I seem to experience something different:

  • Shock that we are here again, with yet another incident of policy brutality against Black people. 
  • Utter embarrassment that an Asian officer just stood and watched. 
  • Shaken by the images and accounts of riots, especially from friends who experienced it. 
  • Outrage at looters and violent instigators who took advantage of this moment. 
  • Sadness for the restaurant workers who endured closures, as well as doctors who continued to help others through the pandemic–only to have their places destroyed. 
  • Relief in seeing the solidarity of communities that clean up together after the violence.
  • Heartened by how the BLM movement has spread worldwide. 
  • Frustration at the difficulty of conveying to Japan the many layers of this complicated issue.
  • Disbelief that the leader of our country tear-gassed peaceful protesters just so he could walk and make an empty gesture. 
  • Guilt that continued to grow each day–that I’m not doing anything as a minority, especially when I’m in DC.
  • Overwhelmed by the sheer volume of news, information, advice, and opinions.
  • Shame about my own ignorance and biased opinions.

. . . The list goes on and on. I’ve been writing little by little, and it has been hard to make it cohesive. But I think two things have really helped in recent days: things are finally starting to be peaceful and hopeful; and I got to take part in the protests. 

The storefront of Teaism, which was set on fire. Even after that, the co-owners have shown support for BLM. I’m sad remembering the many lunches and teas I’ve enjoyed here, including Japanese food like ochazuke. I am now even more motivated to frequent one of their stores again.

Responsibility as an Asian American 

One of the hardest things for me has been to figure out my role as a fellow minority who faces some racism, but whose experience is very different from Black people. 

I cannot even begin to imagine what it is like to face such oppression every single day. I have been a recipient of some discrimination or racial slurs, but have never been suspected of crimes or deemed dangerous simply because of the way I look. I often forget how much we benefit from civil rights movements and all the other efforts that Black people have made towards equality. We’ve received so much–but are not giving back enough. 

Biases

This has been a time for self-reflection as well. I grew up in Japan and in a state whose African American population is 2%. As a child, I did not know anything beyond what I read in classical literature; saw in television (Gordon from Sesame Street!), movies, or the news from the mainland; or learned through very limited personal interactions. This is simply an excuse, of course. After all, DC’s African American population is 46%. And at any point, including in college and as an adult, I could have made more of an effort to seek information and get to know more people. Have I clutched my bag tighter based on the appearance of strangers I’m passing by? Have I bombarded my patient Black friends with ignorant questions? Yes; I’m ashamed to say that I definitely have. I look forward to learning and improving through dialogue and resources (books, films, articles, videos) that have recently been circulating. 

With the current protests, I initially wondered if I am qualified to speak up. I wanted to say something in solidarity, but was embarrassed about my lack of knowledge and experience on this matter. But as an Asian woman, I have striven to promote diversity and equality, and decided that I should contribute in my own way.

Police Brutality

I learned about Rodney King in school, but did not realize until a few years ago–when Michael Brown, Freddie Gray, Philando Castile and many, many more became household names–that nothing has changed in almost 30 years. I am in disbelief that these incidents continue to happen, despite the protests, civil unrest, and wide media coverage–and that we tend to forget once something else replaces the headlines. (And as others have pointed out, these are only incidents that we know about.) 

Of course, the police needs to change, and I’m glad that’s beginning to happen. But those terrible police officers didn’t act the way they did just because they happen to be more violent. It starts with mindset, which is shaped by education, representation in media, cultural discourse, relationships, and more–so I think we are all responsible for changing things collectively, even if each step might be indirect and small.

I am hopeful that this time, things will be different. We all know nothing will change overnight. But what has been heartening is that, thanks to anyone being able to film and spread information quickly, we are now more vigilant than ever. I do believe that the protests had a hand in upgrading the crime of the first officer, as well as the arrest of the three other officers. And I am hopeful that this movement, now bigger than ever before, is leading to a cultural shift where individuals like me will commit to being more mindful of their words and actions regarding race.

The Center of Action

While the protests began in Minneapolis, DC is very much one of the focal points of this movement. Being here in this moment has been scary and fascinating at the same time. I luckily did not experience riots or heavy policing in the suburbs that I live in. But I was heartbroken to see that many of the buildings I’ve frequented in downtown DC are now destroyed. I’ve enjoyed many lunches at restaurants near the White House (which is a 15-minute walk from my former workplace), and felt especially sad that this happened when dine-in services had finally resumed the day before. I also remember my interactions with the kind doctors, pharmacists, and other staff at the urgent care center and CVS that were destroyed–these professionals risked their own health to continue working during the pandemic. I understand that lives are much more important than properties, and hear that this point had to be made physically because peaceful means were not effective enough. I simply wish we would not have to spread the sadness and anger like this. 

On the other hand, it has been wonderful to see the decisive action by the DC mayor to emblazon 16th Street with the sign “Black Lives Matter.” While there’s criticism that this is a publicity stunt against the White House and that real action is lacking, I do think that, in this moment, this sign is exactly what is needed. I felt that the street became a symbolic safe zone, and this gave me the courage to finally shake off the fear and hesitation I had in joining the protests. I just wanted to celebrate this happy occasion by standing there with my own two feet.

The wonderful man on the right kept singing and keeping people upbeat. This song was “Lean on Me,” and several people were dancing.

Facing Forward

Sure enough, when I visited yesterday, Black Lives Matter Plaza was the center of activities, be it chanting in front of St. John’s Episcopal Church or dancing and singing in front of the letters. While the boarded up buildings were stark reminders of the violence during the past week, the overall vibe was positive and encouraging.

Even three months ago, none of us could have imagined this surreal scenery: people dressed in surgical masks and black attire kneeling in front of a caged Lafeyette Park, surrounded by boarded storefronts and vandalism. It sounds apocalyptic, if not for the fact that we were all there because of hope for a better future. I have faith that this is a historical moment. One day, we’ll look back and say: this is when the tides finally began to change.

Kneeling in front of the fenced Lafayette Square (the tip of the Washington Monument can be seen in the distance). Some hands are raised in response to the chant, “Hands up, don’t shoot.”

*PS: I finished this blog post on a positive note last night and was getting ready to post it–but found out this morning that apparently someone defaced the DC flag at the end of the “Black Lives Matter” sign overnight, converting it into an equal symbol (=) that leads to the words “Defund the Police.” I’m very sad that someone used this powerful sign to promote their own view, stripping away the proud moment many of us felt about being in DC. It didn’t even last 48 hours.

PPS: Apparently DC authorities will not erase the “Defund the Police” message, but instead repaint the three stars so that it’s no longer an equal symbol. Perhaps this is again symbolic of the fact that we cannot be complacent with little victories; that this is a neverending fight; that there are divisions even among allies; and that dialogue must continue in every direction.